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鏡像博客(预备博客,现在停止更新)
日本のみなさん
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29 november 11月28日 星期六 晴 无题今天没有工作,睡到中午。 下午,把一大堆的脏衣服分为两次洗,一次洗不了那么多。如果勉强放进去的话,洗衣机就转不动。 上个星期把工作委托我的翻译公司联系我,这两天内把工资给我汇款。十二月要交房租,对生活费贴补一些。
从傍晚到晚上,把故宫的照片上载到博客上,然后又写品级山的记事。 明天也打算看书,上网。 晚上看NHK电视剧《坂の上の雲》。
今日は仕事がないので昼まで寝た。 午後、たまりにたまった洗濯物を二回に分けて洗濯。一度に洗うと洗濯機が回らん。 先週仕事を請けた翻訳会社から一両日中に報酬を振り込むという連絡が来た。十二月は家賃の支払があるので助かる。
夕方から夜にかけて、故宮の写真をブログにアップ。それから品級山の記事を書いた。 明日も読書とネットで過ごすつもり。 夜はNHK「坂の上の雲」を見る。 品級山故宮博物院の太和門外西側、協和門左右の細長い建物には皇帝の鹵簿(ろぼ、行列)・儀式・儀仗に用いられた旗や笠、その他様々な用具が展示されている。 写真は全て2009年11月2日撮影。 多種多様な旗と幟 九龍曲蓋 説明は『大清会典図』をそのままコピー。私にとっては現代中国語よりもむしろこちらの方がありがたい。 静鞭 皇帝の鹵簿が来る前に、この鞭を振り回して騒ぎを静める。
さて、展示で面白かったのが、「品級山」と呼ばれるもの。 品級山とは、清代に宮中で大典を挙行する際、文武百官が整列する位置を示す山の形をした目印のこと。清代の官員の等級は正一品・従一品から正九品・従九品まで十八の品級に分けられていた。文武百官は大典の際、各自の品級と対応する品級山の前に整列した。 例えば、文官では内閣大学士(宰相クラス)が最高位の正一品、各部・院の尚書(大臣クラス)が従一品、各省の行政・治安責任者の総督が正二品、巡撫が従二品にランクされていた。武官では領侍衛内大臣(近衛師団長)が最高位の正一品、将軍・都統(八旗各旗の指揮官)・提督(各省緑営の指揮官)が従一品、八旗制度の最小単位であるニルの長である佐領(ニル=ジャンギン)は正四品にランクされていた。なお、皇族・モンゴル王侯・新疆の諸侯、及びチベットのラマは品級には組み入れられておらず、いわば別格の存在だった。
品級山は品級の高さの順に展示されている。前列(通路側)が正、後列(壁側)が従となっている。
正五品 左:満文 jingkini sunjaci jergi 右:漢文 正五品 従三品 左:満文 ilhi ilaci jergi 右:漢文 從三品 従一品 左:満文 ilhi ujui jergi 右:漢文 從一品 正一品 左:満文 jingkini ujui jergi 右:漢文 正一品 28 november 北京游記之五 ―故宮 天安門~太和殿―天安門を見た後、いざ故宮へ。 月曜日とはいえすごい人 天安門内側から撮ってみた写真
故宮・天安門・人民英雄記念碑・毛主席紀念堂が一本の中軸線上に位置していることがよくわかる。
端門
ちょうど昼前だったので、天安門と端門の間の中華風ファストフード店(小吃)で小籠包を食べて腹ごしらえ。 店の看板には英語で“FAST FOOD”と書かれているが、メニューは中華風ばかりで、英語を話せる店員もいないようだった。私が食べている時も、欧米人観光客が数組やってきたが、店の中を覗いたとたん引き返していた。欧米人向けのメニューを出すなり、英語の話せる店員を配置するなりして、客を呼んだほうがいいと思うのだが。
腹ごしらえが終わった後、端門をくぐって午門へ。 午門外で武装警察がちょうど徒手格闘技の練習をしており、観光客の目を引いていた。 動きはやはり中国拳法風で、自衛隊や米軍の徒手格闘技とは大きく異なっていた。 うまく写真を撮れなかったが、武器を持った相手に対する防御や反撃の型もなかなか面白かった。 午門前の切符売り場で切符(40元)を購入した後、午門をくぐって故宮博物院へ。 午門
午門をくぐった後、午門の上に登ってみた。パノラマレンズが欲しい。 午門上から東南方向を望む 午門上から南方向を望む 正面に見えるのは端門 午門上から西南方向を望む
午門は、清代には凱旋した遠征軍が捕虜を皇帝に献上する儀式(献俘)が行われ、皇帝はここから遠征軍の指揮官と捕虜たちを見下ろした。皇帝権力の視覚的表現として、これ以上のものはないだろう。 午門の門楼内ではちょうどイギリスの宝石メーカーが展示会をやっていた。エアカーテンや自動扉で外気からしっかりガードしている。自分のところの文物もそれぐらいしっかり管理して欲しいものだが。 全く興味がないのですぐに外へ出た。 午門を見終わった後、太和門と太和殿へ。武英殿も見たかったが、残念ながら非公開のようだった。 太和門 太和殿
前回、2006年に来た時は修理中だったので感激した。 修理中(2006年5月撮影)
太和殿前は各国の観光客で一杯。 日本語、英語、フランス語、イタリア語などなど、いろいろな言葉が聞こえてきた。 27 november 北京游記之四 ―天安門・民族団結柱―11月2日。 朝、荷物をまとめてチェックアウト。 部屋を出る前に同室のユーゴスラビア人に別れの挨拶をし、一階に上がってフロントでチェックアウトの手続きをしようとしたその時、突然女性たちの大群が大挙して入ってきた。合計で3、40人ほどはいたと思う。彼女たちは山東省の婦聯(中華全国婦女聯合会、共産党傘下の女性団体)で、研修だか会議だかで北京に来ているらしい。見たところ年齢は全員40代以上、幹部クラスのようだ。 一階ロビーはまるで蜂の巣をつついたような大騒ぎ。やっぱり「女三人集えばかしまし」だ。 オバハンたちの手続きがある程度ひと段落ついてからチェックアウトの手続きをしてから、ホテルを出て、地下鉄和平門駅で地下鉄に乗り、いったん北京駅へと向かう。北京駅で荷物を預けてから、前門駅に戻り、天安門広場へ。 広場の入口では空港のようなセキュリティチェック。
十数年ぶりに毛主席紀念堂を見学しようかと思ったが、ちょうど月曜日で休館日だった。 天安門の「民族団結柱」を改めて観察。
西側(人民大会堂側) 東側(国家博物館側)
まず西側(人民大会堂側)から オロチョン族(鄂倫春族) 前から26番目 オロス族(俄羅斯族)中国国内のロシア系住民 前から22番目 シベ族(錫伯族) 前から19番目 朝鮮族 5番目 チベット族 天安門側から数えて2番目 モンゴル族 モンゴル族は西側の天安門側から数えてトップに位置。
東側(国家博物館側) 漢族 東側のトップ(天安門側から)に位置 回族 2番目 ウイグル族 3番目 満洲族 6番目
各民族の並びについては以下のサイトを参照。 順番は政府によって各民族に振られているコード番号(代碼)に基づいている。
奇数番号は東側(国家博物館側)、偶数番号は西側(人民大会堂側)に交互に配列。
最近の報道によると、民族団結柱は年内にもオリンピック公園に移設されるらしい。
人民英雄記念碑 雪の残る天安門
天安門を見た後、故宮へ。 11月26日 星期四 多云转阴 无题下一篇原稿还没来,因此进行自己PC内的有关清朝历史的资料的整理,进行博客的清朝历史记事的修改。 偶尔看一下以前看过的论文。
次の原稿がまだ来ないので、自分のPC内の清朝史関連の史料を整理したり、ブログの過去の清朝史関連記事の加筆・訂正を行った。 時々、以前読んでいた論文を読み返したりした。 26 november 11月25日 星期三 多云 食っちゃ寝食っちゃ寝25 november 11月24日 星期二 多云 一人ブラック企業
先週金曜日から今日の朝八時まで、ずっと家にこもって翻訳。 原稿は二部あり、どちらも今日が締め切り。しかも字数が多くて時間的にもかなりきつい。 毎日少なくとも15、6時間はPCに向かって仕事。 特に昨日23日朝から今朝までは一睡もできず、今朝8時ごろようやく原稿提出。
なんというか、一人ブラック企業。まあ先週軽いノリで仕事を引き受けた俺の自業自得なんやけどね。 9時ごろ翻訳会社から原稿受取の連絡を受けた後、寝室へ直行!
午後二時半ごろ起床。 夕方までは近所をぶらぶら散歩したり、自分のPC内のファイルやフォルダの整理整頓を実行。仕事でPCを使っていると、ファイルやフォルダの分類がごちゃごちゃしてくる。
嫁さんと一緒に夕食を食べながら衛星放送でNHKニュースを見ていたら、仕分け人の蓮舫が出てきた。 夕食後は、ひさしぶりに宮崎市定全集第14巻の『雍正帝』を読み、さらに「雍正硃批諭旨解題」を途中まで読んだ。ひさしぶりに読むといろいろな発見があって面白い。 20 november 北京游記之三 ―夜の前門・天安門―11月2日夕方。 瑠璃廠をぶらぶらした後、鉄樹斜街を抜けて大柵欄まで歩く。 もう日が暮れているのに、狭い道を無灯火の自転車がビュンビュン走ってくるんで、発見が遅れて何度も接触しそうになった。 大柵欄の商店街は観光客でにぎわっていた。 続いて、最近民国時代風にリニューアルされた前門大街へ。 なんというか、民国時代風テーマパークといった感じ(日本で言えば大正~昭和20年代)。 路面電車もあったが、大連で本物を見慣れているので、あまり面白みはなかった。 旧正陽門駅 現在の北京駅ができるまでは、ここが北京のターミナル駅だった。 正陽門(前門)
次に、夜の天安門へ。 広場は夜間立入禁止となっており、広場出入り口には警官が立っていた。 夜の毛主席紀念堂 広場入口には武装警察が立哨。 民族団結柱 国慶節にあたって立てられた柱、各民族の絵が描かれている。 ライトアップされた天安門。 天安門と衛兵 天安門中央を背に不動の姿勢で立っている。気勢が充実している。訓練の賜物。 私が撮影を終えた直後に次の衛兵と交代。私が撮影を終えるのを待ってくれていたようだ。 衛兵さん、本当にありがとうございました!
卫兵在我拍了之后接班,他可能在等我拍完。 卫兵同志,太谢谢了! 「あなた、愛してる」 北京飯店前 雪の上に書かれた文字。
王府井まで歩いて、マクドで夕食を取ったあと、タクシーでホテルに帰ろうとしたが、近距離なのに30元とか抜かしやがる。 結局地下鉄で帰った。 18 november 北京游記之二 ―大雪、火器営―10月31日~11月1日 城壁を見終わってから、崇文門のホテルで翻訳会社のレクチャー・会議に参加。 普段メールや電話でしかコミュニケーションが取れないので、直接顔を合わせることができる貴重な機会。 会議後、近くのレストランで食事。 8時半ごろ解散し、タクシーで宿泊予定のホテル付近まで送ってもらった。
ホテルは大柵欄と瑠璃廠付近の路地にある遠東飯店、バックパッカー御用達のホテル。宿泊客は欧米人が多い。 部屋は地下一階のドミトリー(4人部屋)、わりと清潔。一泊45元。バックパッカー時代を思い出す。部屋にはなぜかコンセントがない。勝手に電化製品を使うなということだろうか。携帯の電池が切れかかっていたので、フロントに預けて充電しておいてもらうことにした。 自分の部屋には幸い誰も泊まっていなかったので、ベッドに寝転がって本を読む。 12時ごろようやく眠たくなってきたので寝た。
11月1日朝、フロントに携帯電話を取りにいったとき、外を見るとなんと大雪! 朝、ヨーロッパ人らしい人が私の泊まっている部屋に入ってきた。 本人は「ユーゴスラビア人」と言っていた。日本語と中国語が少しできる人で、話を聞いているとアジアの旅行経験が豊富なようで、日本にも行ったことがあるらしい。ユーゴスラビアの方と少し話した後、満洲族の友人のAmin aguとの待ち合わせ場所である西直門駅に向かうべく、まず和平門駅まで歩く。 雪化粧した瑠璃廠もなかなか風情があっていい。 和平門から地下鉄2号線に乗り、西直門に到着。ホームでAminと落ち合った。 約一年半ぶりの再会。
Aminは北京市西城区の文化委員会(日本の教育委員会にあたる)で文化財保護の仕事をしている。 Aminからは西城区文化委員会編の『西城区各級文物保護名録』をプレゼントされた。内容は西城区の文化財・建築の写真と現況の説明。感謝感激! 地下鉄で近況や清朝史の話題についていろいろ話し合った。 地下鉄を2回乗り換えて、10号線の終点の巴溝に到着。地上に出ると相変わらず雪が降り続いていた。 バスに乗り、今回の目的地火器営へと向かう。 火器営とは清朝の八旗の鉄砲隊・砲兵隊で、現在も子孫の満洲族が集住している。 (以前書いた記事 火器営-清朝の諸兵科連合部隊-) 約9年ぶりの再訪。 バスを降りると、高層アパートと既に取り壊された営房跡地が見えた。 2000年3月に訪問した頃はまだ営房がかなり残存しており、八旗方位に基づいた地割も維持されていたが、今はほとんど全て撤去され、高層アパートとなっていた。 Google Earthで事前に確認はしていたものの、実際に現地に立ってみると、やはり寂しさがこみ上げてくる。
2人で2000年に訪問した「満族文化站」を探し回った。 いろいろな人に聞いて回るがなかなか見つからず、ちょうど昼飯時になったので、付近の中華風ファーストフードで食事。 私が冗談で「なんで八旗方位に基づいた区画にせえへんねん?ワシは八旗方位やったらわかるのになあ」と言ったら、Aminも笑っていた。 食事後、しばらく探し回ってようやく発見。 日本の団地の公民館、コミュニティセンターのような場所の一角。 内部も日本の公民館というか自治会のような雰囲気。日曜日だったので、中は係のおばさん一人だけだった。 Aminが私が2000年に火器営を訪問したことがあること、私の修士論文の題材が火器営だったことを紹介すると、おばさんはとても喜んでいた。 中の図書室のような場所はいろいろ飾り付けられていた。先日話をお聞きしたところ、建国60周年の民族団結記念パーティを開催したところだという。他にも火器営の満洲族と北京の満洲族有志で色々な文化イベントを行っているらしい。 以前の火器営の営房に住んでいた人たちは高層アパートに移ったという。 いろいろお話をお聞きした後、連絡先とメールアドレスを書いた紙を渡して辞去。
火器営の修士論文は手元にあるが、今読むと文章が滅茶苦茶だし、しかも10年前に書いたものなので最近の研究成果が反映されておらず、大幅に書き直す必要がある。 とりあえず暇を見て少しずつ改訂し、来年以降ブログに連載していきたいと思っている。
その後、バスを乗り継いでAminの通う中央民族大学へ。 キャンパスを散歩しながらAminと満洲族の話題や歴史の話題についていろいろ話した後、キャンパス内の書店へ。 さすが中央民族大学の書店、小さいながらも各民族の重要な文献が満遍なくそろっている。文献についてAminと侃侃諤諤やりながら、本を一冊一冊選び、最終的に満洲・シベ族関連の本4冊とコーカンド=ハン国関連の研究書、北京の文化に関する本を購入。Aminの学生用割引カードを利用させてもらったおかげで2割引で買えた。 『五体清文鑑』の影印本も置いてあったが、値段も高いし、かさばるので今回は購入を見送った。 書店のウイグル語コーナーではウイグル族らしい学生が腰掛に座って座り読みをしていた。
本を買ったのち、バスで西直門駅に戻り、Aminと別れた。 今回はAminと会えたおかげで本当に楽しかった。
地下鉄でいったん和平門に戻り、さらに歩いてホテルに戻る。 雪はほぼ止んでいた。
ホテルでしばらく休んだ後、6時ごろまで瑠璃廠の本屋街をぶらぶら。 ただ今回は古本はこれといった本が見つからなかったし、欲しいと思った新本もAmazonで買える本ばかりだったので、わざわざ荷物を増やすこともあるまいと思って、結局一冊も買わなかった。 11 november 11月11日 星期三 阴 生日09 november 11月8日 星期日 今天也翻译今天也在家里做笔译。 总算翻译完了。截稿在后天傍晚,明天要仔细修改后再交。 傍晚有周五投简历的翻译公司回复,有业务就联系。
晚上听单口相声。
今日も翻訳。 翻訳は大体終了。納期はあさってなので明日じっくり推敲してから提出。 夕方に金曜日に履歴書を出した翻訳会社からご返事をいただいた。仕事があれば連絡するとのこと。
夜は落語を聞く。 08 november 11月7日 星期六 阴转小雨 翻译今天一直窝在家里做笔译工作,只翻译了一半。 不知道为什么,今天工作提不起精神。 明天再做吧!
今日は一日中家にこもって翻訳したが、半分ぐらいまでしか翻訳できなかった。 今日はなぜか仕事に身が入らなかった。 また明日やろう。 07 november 11月6日 星期五 晴 嫁さんの誕生日今天是农历九月二十日,老婆的生日。
早上九点左右起床,因为很累,不知不觉地睡着了。 上午做中文简历,下午一点半左右发给另一个翻译公司。 那家公司是中国的翻译公司,因为中译日的笔译工作多,所以应聘。
3点左右,每个星期给我发送原稿的翻译公司给我发来新的原稿,截稿期是下周二。 翻译到5点左右,然后把北京游记第一部分上载到博客上。然后再修改一下。
8点左右,跟老婆一起吃饭祝贺生日。 今天老婆做饭做得非常好,真好吃!
今日は陰暦(農暦)9月20日、嫁さんの誕生日。 (中国では誕生日は陰暦で祝うことが多い)
朝9時頃起床。疲れが出てつい朝寝。 午前中、中国語の履歴書を作り、昼過ぎに昨日とは別の翻訳会社に提出。 中国の翻訳会社なので、中文和訳の仕事が多いかと思い申し込んでみた。
3時頃、毎週原稿を頂いている翻訳会社から原稿到着。納期は火曜日まで。 5時頃まで少し翻訳したあと、北京の旅行記第一弾をブログにアップ。その後少し修正。
8時に、嫁さんと一緒に誕生日を祝った。 今日は嫁さんの料理がホンマにうまい! 06 november 八旗吉祥物八旗兵携帯ストラップ(鑲白旗) 11月2日 故宮養心殿前売店にて購入 15元 故宮で八旗マスコットを発見! その名も「八旗娃娃」(八旗人形)。ロゴをよく見ると右下に英語で“EIGHT BANNERS”と書いてある。「八旗娃娃」のキャラクターは八旗にあわせてちゃんと八種類あり、店内には「八旗娃娃」の携帯ストラップ、起き上がりこぼし、ペンケース、鉛筆、ノート、冷蔵庫用マグネットなどなど、いろんな商品が置いてあった。 大学院時代、修士論文で八旗の火器営(鉄砲隊・砲兵隊)を扱ったことがあるので、火縄銃を持っている鑲白旗の携帯ストラップを購入。 しかしまあ、まさか八旗がこういうカワイイ系のマスコットになる日が来るとは思わなかった……
メーカーはこちら 北京尚潮创意纪念品开发有限公司 http://shop36830724.taobao.com/ 北京遊記之一 ―北京城東南角城壁―10月31日から11月2日まで、翻訳会社のレクチャー参加と友人に会うために北京に行ってきました。 まずは10月30日~10月31日の出来事から。 ………………………………………………………………………………………………………………………………………… 10月30日~10月31日 10月30日夜、家からタクシーで大連駅へ。発車までまだ一時間半もあったので、駅前の勝利広場の吉野家で牛丼セット(牛丼並+茶碗蒸+キムチ 18元)を食べて腹ごしらえ。 食べ終わった後、大連駅の候車室(待合室)へ移動し、9時ごろに北京行きK681次列車の硬臥(B寝台)に乗車。内部は片側が寝台、片側が通路となっている。私の乗った車輌は背広を着たビジネスマンが多かった。やっぱり普段乗ってる硬座(二等車)とは客層が全然違う。 取引先の日本人からもらったらしい名刺を眺めているビジネスマンもいた。 列車は9時半に定刻通り出発、私のベッドは3段ベッドの中段で上下空間がかなり狭いので、窓際の補助椅子(上段、中段ベッドの乗客用)に座って本を読んだ。倉沢進・李国慶著『北京ー皇城の歴史と空間ー』(中公新書 2007)、北京の都市史と社会史を扱った本。
10時ごろに中段ベッドに寝転がり、10時半の消灯まで引き続き読書。 最近生活が夜型なので、寝台車で眠れるかどうか心配だったが、気がついたら寝ていた。
翌朝6時半、車内放送と革命歌曲「歌唱祖国」(オリンピックの開会式で女の子が口パクで歌った)の勇ましいメロディでたたき起こされた。いつの時代や?朝から革命歌曲かいな?
朝食に、勝利広場のコンビニで買っておいたパンを食べる。それからレクチャー参加のため、背広に着替えた。 私のそばでは背広を着たビジネスマン二人がクリアファイルに綴じた資料を読みながらあれこれ議論していた。プレゼンの資料だろうか。 列車は朝8時40分ごろ北京駅に到着。向かいにCRH和谐号(中国版新幹線)が停車していた。本当に新幹線そっくりだった。
レクチャーは午後なので、午前中は北京駅の近くの城壁跡公園を見学することにして、改札口付近の預かり所にバッグを預けた(20元)。預かり代20元とは、さすが北京。大連なら10元ぐらいだろう。 身軽になったところで、北京駅の大時計の鐘が聞こえてきた。もう9時か。 メロディはなんと「東方紅」。ずいぶんひさしぶりに聞いた。中国は建前上はまだ毛沢東主義らしい。 駅前広場にはカバン代わりに荷物を詰め込んだ肥料袋を担いだ出稼ぎ農民らしき集団がたくさんいた。
そのまま歩いて北京駅の近くの城壁跡公園、北京明城牆遺址公園へ。 明城牆遺址公園は北京の内城城壁(位置は地下鉄2号線の路線とほぼ同じ)の東南角にあたる。北京は明代以降高い城壁に囲まれてきたが、1960年代までにほとんどが撤去され、現在残存しているのは内城の東南角(北京駅付近)と西南角のみとなっている。前夜に『北京』で、城壁保存を訴えた梁思成のエピソードを読んだところだったので、感慨もひとしお。 11時ごろまで城壁を見た後、北京駅前に戻り、少し早めに昼食 昼食後預かり所でバッグを受け取り、午後のレクチャーへ。
北京明城牆遺址公園入口(北京站東街、建国門内大街十字路) 内城東南角 角楼(東南方向から撮影) 角楼内部 内部には各城門の模型や当時の武器などを展示 城壁が鉄道で寸断 火車券洞 民国時代、1915年に京師環城鉄路(正陽門(前門)―東直門―西直門)が敷設された際に城壁に開けられた鉄道用出入口。京師環城鉄路は戦後廃線、この火車券洞は現存する唯一の遺構。 1916年当時の路線図 京师街道并环城铁路图 - 交通 - 京城舆图 - 北京记忆首页 火車券洞内側 東南角楼から北京駅を望む。 左は火車券洞、環状鉄道は現在の線路が走っている場所を横切る形で走っていた。画面奥に見えるのが北京駅。 京奉鉄路信号所 北京と奉天(現瀋陽)を結ぶ京奉鉄路は、正陽門(前門)を起点とし、内城城壁の南を通過していた。1959年、現在の北京駅建設と正陽門駅廃止により当区間の線路を撤去。 京奉鉄路については、こちらのサイトがよくまとまっている。 京奉鉄路のレールと説明 崇文門付近の切れ目。内側の版築構造と外側の煉瓦の組み合わせ方がよくわかる。 煉瓦層の厚みは約1.5~2mぐらい 11月5日 星期四 晴 やっと休める!北京では翻訳会社のレクチャーと夜の食事会で、翻訳会社の方々や多くの翻訳者と交流することができ、大いに刺激を受けた。それに翻訳会社の方や翻訳者の方も、翻訳では私と同じような悩みを抱えていることを知ったことも大きかった。 北京で吸収した色々なエッセンスを今後どう生かしていくかが課題となるだろう。
また、レクチャーの席上で大連の翻訳会社の方にお会いした際に、その方の会社への翻訳者登録を薦められ、ちょうど翻訳会社を新規開拓しようと考えていたところなので、喜んで承諾。
北京ではその他、明城壁跡や前門、天安門、故宮を観光したり、友人のAmin Aguと一緒に北京西北の火器営の満洲族の文化センター(満族文化站)を訪ねたりした。これらについては旅行記として別にブログに載せるつもり。
3日朝に大連に戻り、休む間もなく大連の翻訳会社に提出する履歴書・職務経歴書・翻訳サンプル・翻訳実績一覧を作成。昨日登録に行くつもりだったが、3日夕方に別の翻訳会社から急ぎの翻訳案件が入ったので、今日に延期。 昨日は丸一日家で翻訳。字数は少なかったが、初めて翻訳する内容だったので予想以上に時間がかかってしまった。
今日午前翻訳会社に登録に赴き、履歴書・職務経歴書・翻訳サンプル・翻訳実績一覧を提出し、会社所定の登録票に記入。登録手続き終了後、大連駅前で昼食をとり帰宅。
午後は北京のレクチャーで頂いた名刺やメールアドレスの情報をOutlookで整理。 夕方から夜にかけて、北京で撮ったデジカメ写真をPCで分類整理。
30 oktober ジオンの魂「ザクだけでは売れなくて…」中国のマニアが開いた元ザク専門店に潜入。http://www.narinari.com/Nd/20091012519.html
まさか中国にもザクマニアがいるとは! 俺もザクは好き。ガンダムのようなヒーローとは違って、現実的というか、親しみやすい気がする。 ただ、中国のガンダムファンはSEEDから入った人が多いんで、ファーストガンダム、しかもザク専門ではさすがに厳しいか。
深圳に行く機会があったら、ぜひ行って見たい。 深圳にいる方々にはぜひ売上げに貢献していただきたい。 10月29日 星期四 晴转多云 进京 gemun hoton de dosimbi 上京明天晚上坐火车去北京。 先去翻译公司,然后去看见朋友。 11月3日回来大连。
明日夜列車で北京に行ってきます。 まず翻訳会社に行って、それから友人に会ってきます。 11月3日に大連に戻ります。 29 oktober トゥリシェンはマンモスの肉を食べたか?
さて、この間ロシア関係のことを調べたついでに、満洲旗人トゥリシェン Tulišen(図理琛)のロシア旅行記『異域録』を読んだ。 トゥリシェンは康熙五十一年(1712)ヴォルガ河流域で遊牧するトルグート部(現在のカルムイク共和国)への使節団に参加。当時は最短ルートである天山北路(ジュンガリア・現新疆ウイグル自治区北部)が清と敵対するジューンガル部に領有されていたため、迂回ルートのシベリアを経由して、五十三年(1714)にトルグート部のアユキ=ハーンと会見し、五十四年に北京に帰還している。彼は通過したシベリア各地の地理・風俗・政治等につき満洲語・漢語による詳細な報告を行い、雍正元年(1723)に『異域録』として出版、18世紀シベリアの貴重な記録となっている。 そこで面白い記述を発見。場所はエニセイスク。以下は満文本からの日本語訳。
マムントワはロシア語でマンモスを意味するマモント Мамонт。当時のシベリアではマンモスは太古の生物ではなく、地底で生活する巨大な動物で、地上に出ると死ぬと信じられていた。これはシベリアで時折発見されるマンモスの化石や生前の姿を保ったままの氷漬けマンモスを見た現地人が、マンモスを地中に生きる現生動物と信じたことによるものらしい。マンモス・マモントという名称もシベリア諸民族の言葉mamut(地下に生活する者)が語源。 なお、乾隆『大清一統志』巻四百二十三俄羅斯(ロシア)の条でも、シベリアのヤクートに生息する現生動物として「麻門橐漥(マモントワ)」が紹介されている。内容は『異域録』の引用箇所とほぼ同じ。
「骨は白くてすべすべし、柔らかで象牙に似ている。……ロシア人はこの骨を手に入れると、碗、皿、くしなどを作って使っている」とあるが、シベリアでは実際にマンモスの化石が工芸品の製造に用いられ、最近では象牙の代用品として輸出もされているという。「いつも河岸の土中から発見される」についても、マンモスの化石は実際に河岸で発見されることが多い。
さて、気になる記述がこれ。
おお、当時のシベリア人とトゥリシェンはマンモスの肉を食べたのか?『はじめ人間ギャートルズ』!と思って、訳本の注を見てみると
とある。『神異経』の該当箇所に当たってみると、
とあり、トゥリシェンはシベリアでマンモスの話を聞き、『神異経』の記述にある「磎鼠」とみなし、肉に関する記述をそのまま引き写したらしい。なお、『神異経』の「磎鼠」については、実際にシベリアのマンモスの化石や氷漬けマンモスの話が中国に伝わったものとする見方がある(南方熊楠「マンモスに関する旧説」)。 したがって、『異域録』の記述からだけではトゥリシェンやシベリア人がマンモス肉を食べたかについてはよくわからないが、可能性はあるかもしれない。 氷漬けマンモスの場合腐敗はしていないだろうから、『神異経』の通りに乾肉にして食べたら問題ないかもしれない(?!)
と書いて記事をアップしようと思ったら、まさかこんなものが発売されてるとは!最近日本を開けてたんで知りませんでした。 東ハト「マンモスの肉!?・シベリアの塩味」・「マンモスの肉!?・焼肉のタレ味」 http://tohato.jp/news/news.php?data_number=536
東ハトのスナックにも「肉の性質は寒で、これを食べると、高熱や内臓が焼けついて苦しいのを抑えることができる」効果や熱を下げる効果があるんでしょうか? …… 参考文献・サイト 『異域録―清朝使節のロシア旅行報告―』トゥリシェン 今西春秋訳注 羽田明編訳 平凡社東洋文庫445 平凡社 1985 『神異経』(四庫全書本)『欽定四庫全書』上海古籍出版社 1987 『大清一統志』(四庫全書本)『欽定四庫全書』上海古籍出版社 1987 南方熊楠「マンモスに関する旧説」(電子テキスト:鬼火/やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇 http://homepage2.nifty.com/onibi/man.html 2009.10.15アクセス)(底本「南方熊楠選集 第五巻 続々南方随筆」平凡社 1985) 10月28日 星期三 晴转多云 忙中有闲 忙中閑有り昨天把全部原稿翻译完了! 今天睡到中午,从昨晚夜半开始一共睡了12个小时。 突然感到很累!
下午吃老婆做的拿手菜,然后上网,看书。 晚上也没做什么事情,发着呆消磨时间。
最近我家蟑螂越来越多,因此我去青泥洼桥的麦凯乐购买安速蟑螂屋和硼酸团子(毒饵)。 虽然比中国厂家的贵一些,但效果非同一般。看看蟑螂屋里面,已经被抓很多蟑螂。
昨日全ての原稿を翻訳終了。 今日は昼まで寝た。昨日の夜中から計12時間睡眠。 疲れがどっと出た!
午後は嫁さんの手料理を食べたり、ネットや読書。 夜も特に何をするでもなく、ボーっとして過ごした。
最近家でゴキブリが増えてきたので、青泥窪橋(大連駅前)のマイカルでアースのゴキブリホイホイとホウ酸団子を購入。 中国メーカーに比べると値段は高いが、効果は抜群。ホイホイ内部を見るとゴキブリがかなり捕まっている。 ゴキブリホイホイ三枚入り、日本のゴキブリホイホイと全く同じで、説明も日本語。 蟑螂屋3枚,跟日本蟑螂屋一模一样,里面的说明也是日文。 ホウ酸団子とゴキブリホイホイ 安速蟑螂屋和硼酸团子(毒饵) |
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