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July 30 御製繙譯論語 卷一 爲政第二(1)(凡例) ・テキストは四庫全書本の『御製繙譯論語』を使用
参考文献・Webサイト (史料) (訳注・研究書)
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(満文) dasan be yabuburengge jai fiyelen. 政を為さんとすること 第二編 (漢文) 爲政第二 ・・・・・・・・・・・・ (満文) fudzi hendume,erdemu i dasan be yabubuci ,duibuleci,hadaha usiha adali,terei bade bifi,geren usiha ukunjimbi. 先生がいうには、「徳の政治を行われるならば、たとえるなら、北辰のように、その場所にいながら、多くの星が取り囲みにやってくる」。 ※hadaha usiha:北辰、北極星 ukunjimbi:取り囲みにやってくる、四方から寄り集まってくる
(漢文) 子曰、爲政以徳、譬如北辰居其所、而衆星共之、 子の曰わく、政を為すに徳を以てすれば、譬(たと)えば北辰の其の所に居て衆星のこれに共(むか)うがごとし。 先生がいわれた、「政治をするに道徳によっていけば、ちょうど北極星が自分の場所にいて、多くの星がその方向に向かって挨拶しているようになるものだ[人心がすっかり為政者に帰服する]」。
※衆星共之:朱熹の新注では共を「向」とみなし、「衆星のこれに共(むか)う」と読み、多くの星々が北極星をとりまいて北極星の方向を向いていることと解している。鄭注や金谷治訳注『論語』では共を「拱手」(手を前に組む挨拶)とみなし、多くの星々が北極星に挨拶していると解している。満洲語訳では朱熹の新注に従っている。 ・・・・・・・・・・・・ (満文) fudzi hendume,irgebun i nomun i ilan tanggū fiyelen be emu gisun de baktambuci ombi.gūnigan miosihon akū sehe be kai. 先生がいうには、「詩経の三百篇を一つの言葉に収めることができる。思い邪なしということであるぞ」。 ※irgebun i nomun:『詩経』。三百十一篇(うち六篇は題名のみ伝わる)からなる中国古代の詩集。「三百篇」は概数。 (漢文) 子の曰わく、詩三百、一言以てこれを蔽(おお)う、曰わく思い邪(よこしま)なし。 先生がいわれた、「詩経の三百篇、ただ一言で包み込めば『心の思いに邪なし』だ」 ・・・・・・・・・・・・ (満文) fudzi hendume,dasan i yarhūdara,erun i teksilere ohode irgen guwere be bodocibe,girucun be sarkū.erdemu i yarhūdara,dorolon i teksilere, girucun be sambime wembi. 先生がいうには、「政治によって導き、刑罰によって整えたとしたならば民は[刑罰を]免れることをたくらみながらも、恥を知らない。徳によって導き、礼によって整えたならば、[民は]恥を知って教化される」。 ※ohode:~とすれば、もし~だったら bodocibe:bodombi(謀る)+cibe(~にもかかわらず)たくらむにもかかわらず、たくらみつつwembi:(氷や雪が)融ける、教化される (漢文) 子曰、道之以政、齊之以刑、民免而無恥、道之以徳、齊之以禮、有恥且格、 子の曰わく、これを道びくに政を以てし、これを斉(ととの)うるに刑を以てすれば、民免(まぬが)れて恥ずることなし。これを道びくに徳を以てし、こてを斉うるに礼を以てすれば、恥ありて且(か)つ格(ただ)し。 先生がいわれた、「[法律など小手先の]政治で導き、刑罰で統制していくなら、人民は法の網をすりぬけて恥ずかしいとも思わないが、道徳で導き、礼で統制していくなら、道徳的な羞恥心を持ってその上に正しくなる」。 July 23 満文論語―中庸の徳ー
満洲語訳(『御製繙譯論語』巻三 雍也第六 四庫全書本)
中庸について朱熹は「中は過不足がないことであって、庸は平常である」(中者,無過無不及之名也,庸,平常也)と解釈している(朱熹『四書章句集注』論語集注巻三 雍也第六)。ほどよい中間の道を歩み、常識を守るということらしい。 中庸の満洲語訳 an dulimba を直訳すると an(平常)、dulimba(中央)となっており、「庸」と「中」の順番になっているが、おおむね朱熹の解釈に基づいているといえる。 ・・・・・・ (参考文献) (史料) (訳注・研究書) July 21 今日の満文論語―おかえりなさい ご主人様―今日から、満文・漢文対照論語すなわち『御製繙譯論語』から、一日一つずつ言葉を取り上げていくことにする。 これも満洲語・シベ(錫伯)語普及計画の一環である。
(現代語訳:金谷治 訳)
満洲語訳(『御製繙譯論語』巻九 陽貨第十七 四庫全書本)
満洲語訳では「女子」は hehesi(女たち)、小人は buya niyalma(ちっぽけな人)となっていて、この点は伝統的な解釈と同じ(満文訳はおおむね『四書章句集注』(新注)に基づく)。
この言葉は女性陣には非常に評判が悪い言葉のようだが、長らく人口に膾炙してきた言葉でもある。 以前、乗り合いタクシーに乗り合わせたオバはんとおしゃべりしていた時、オバはんに「中国の女性の印象は?」って聞かれて、「中国の女性はすごいですよ!なにしろ聖人でも『養い難しと為す(爲難養也)』ぐらいですから」って答えたらオバはん大笑いしてたなあ。
あの、けっして女性を敵に回そうとか、嫁さんに不満があるとかいうわけではないのである。ただ「ツンデレ」の「デレ」の部分が少し増えるといいなあと考えているだけなのである……むにゃむにゃ。 ・・・・・・・・・・・ 以上は伝統的な解釈。 以下、最近の解釈を。(あくまで、そういう解釈もありかな、という考えでお読みいただければ幸いです)
近現代の研究者によると、この言葉の「女子」は家事を手伝う下女・女中または妾を指すという解釈があり、「小人」も下働きの下男や使用人とする解釈がある。論語の「女子」という言葉は女性一般を指しているのではなく、男性に対する「小人」と同様に身分の低い女性、または小人物を指しているらしい(宇野哲人、貝塚茂樹、宮崎市定など)。いってみれば「小娘」といったところか。
つまり、現代語に直すと、
メイドさんと使用人は扱いにくい! ということですね! 『ウィキペディア(Wikipedia)』の「メイド」に掲載のイラスト(著作権フリー)
2000年以上前にすでにメイドさんについて論じるとはさすが孔子! (かなり違う気もするが細かいことは気にしちゃいけない)
冗談はさておき、このように最近の研究者の間では「唯女子與小人、爲難養也 唯女子と小人とは養い難しと為す」という言葉は本来は女性すべてを蔑視するものではなかったという意見も強まっている 確かに『論語』全体を通読してみると、年少者や部下、民をどのように教育するか、どのように導くかが主題となっている本なので、今述べた「女中(メイド)や下働きの使用人は扱いにくい」という解釈の方が文脈的には正しいのかもしれない。
―嫁さんごめん!老婆对不起!ー ・・・・・・
参考文献・サイト (史料) 『御製繙譯論語』(『欽定繙譯五經四書』所収 四庫全書本 『欽定四庫全書』上海古籍出版社 1987) 朱熹『四書章句集注』 新編諸子集成(第一輯) 中華書局 1983 (訳注・研究書) 宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫 1980 貝塚茂樹 訳注『論語』中公文庫 1973 金谷治 訳注『論語』岩波文庫 1963(1999年再販本) 宮崎市定『論語の新研究』岩波書店 1974 (Webサイト) メイド フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2009.7.21アクセスメイドについて調べてたらこんなのを見つけてしまいました ……中国のメイド文化おそるべし 百度百科 女仆(中国語、日本と世界各国のメイド、中国の歴史上の奴婢についても概説)2009.7.21アクセス 「日中文化交流」と書いてオタ活動と読む より5月に開催された杭州メイド大会の記事 中国杭州で「メイド大会」開催 (2009年05月19日)2009.7.21アクセス 杭州メイド大会ウェブサイト(どうも杭州のメイド喫茶らしい)2009.7.21アクセス 私の中の杭州のイメージが音を立てて崩れていく…… July 20 満文論語より先ほど引用した『論語』の章句、
ちなみに、満洲語訳ではこうなってます(『御製繙譯論語』巻八 衛靈公第十五 四庫全書本)
満洲語やってる人以外にはどうでもいいことですね。 November 10 四庫提要 欽定繙譯五經四書
欽定繙譯五經四書 提要 臣謹案、乾隆二十年,初欽定繙譯《四書》,續繙譯《易》《書》《詩》三經,續又繙譯《春秋》、《禮記》二經,至乾隆四十七年,而聖賢典籍釋以國書者,燦然備焉。案鄭樵《通志‧七音略》曰:「宣尼之書,自中國而東則朝鮮,西則涼夏,南則交阯,北則朔易,皆吾故封也。故封之外,其書不通。何瞿曇之書能入諸夏,而宣尼之書不能至跋提河,聲音之道有障礙耳」其說良是,然文字之聲音,越數郡而或不同,文字之義理,則縱而引之,千古上下無所異;橫而推之,四海內外無所異;苟能宣其意旨,通以語言,自有契若符節者,又何聲音之能障礙乎哉。考《隋書》魏氏遷洛,未達華語,孝文帝命侯伏侯可悉陵以其言譯《孝經》之旨,教於國人,謂之《國語孝經》。《經籍志》載其書作一卷,是古人已有行之者。特其學其識均未窺六藝之閫奧,故能譯者僅文句淺顯之《孝經》,而諸經則未之及耳。我國家肇興東土,刱作十二字頭,貫一切音;復御定《清文鑒》,聯字成語,括一切義,精微巧妙,實小學家所未有。故六書之形、聲、訓詁、皆可比類以通之。而列聖以來,表章經學,天下從風,莫不研究微言,講求古義,尤非前代之所及。故先譯《四書》示初學之津梁,至於《五經》,《易》則略象數之,示其吉凶;《書》則疏佶屈之詞,歸於顯易;《詩》則曲摹其詠嘆,而句外之寄託可想;《春秋》則細核其異同,而一字之勸懲畢見;《禮記》則名物度數,考訂必詳;精理名言,推求必當,尤足破講家之聚訟。蓋先儒之詁經,多株守其文,故拘泥而鮮通。此編之詁經,則疏通其意,故明白而無誤。不立箋、傳之名,不用註、疏之體,而脣吻輕重之間,自然契刪述之微旨,厥有由矣。學者守是一編,或因經義以通國書,而同文之聖化被於四方;或因國書以通經義,而明道之遺編彰於萬世。其有裨於文教,均為至大,雖堯帝之文章,尼山之刪定;又何以加於茲哉! 乾隆五十四年正月臣恭校上
總纂官 臣 紀昀 臣 陸錫熊 臣 孫士毅 總校官 臣 陸費[土犀]
(読み下し) 【欽定繙譯五經四書】 提要
臣謹んで案ずるに、乾隆二十年,初め欽定して『四書』を繙譯(翻訳)し,續きて『易』『書』『詩』三經を繙譯し,續きて又『春秋』、『禮記』二經を繙譯し,乾隆四十七年に至りて,聖賢典籍の釋すに國書(満洲語)を以てする者,燦然として備はりたり。
鄭樵『通志‧七音略』を案ずるに、曰く:「宣尼(孔子)の書,中國自(よ)りして東は則ち朝鮮,西は則ち涼夏,南は則ち交阯,北は則はち朔易,皆吾が故封なり。故に封の外,其書通ぜず。何ぞ瞿曇(くどん 仏教)の書能く諸夏に入らんや,而して宣尼の書跋提河(ヒランヤバーディ川、釈迦入滅の地クシナガラの川、ここではインドを指す)に至る能はざるは,聲音の道に障礙有るのみ」其の說良にして是なり。然るに文字の聲音,數郡を越えて或いは同じからず,文字の義理,則ち縱して之を引くに,千古上下異なる所無し;橫して之を推すに,四海内外異なる所無し;苟しくも能く其の意旨を宣べ,通ずるに語言を以てし,自ら契すること符節の若(ごと)き者有らば,又た何ぞ聲音の能く障礙せんや。
『隋書』を考ふるに、魏氏洛に遷り,未だ華語に達せず,孝文帝侯伏侯、可悉陵に命じ其の言を以て『孝經』の旨を譯し,國人に教へ,之を『國語孝經』と謂ふ。『經籍志』其書を載せて一卷に作る,是れ古人已に之を行ふ者有り。特(た)だ其の學其の識均しく未六藝の閫奧を窺はず,故に能く譯す者は僅かに文句淺顯なる『孝經』のみ,而して諸經は則ち未だ之に及ばざるのみ。
我國家肇(はじ)め東土に興り,刱(はじ)めて十二字頭を作り,一切の音を貫く。復た『清文鑒』を御定し,字を聯ねて語を成し,一切の義を括するは,精微巧妙にして,實に小學家の未だ有らざる所なり。
故に六書の形、聲、訓詁、皆比類して以て之を通ず可し。而して列聖以來,經學を表章し,天下風に從ひ,微言を研究し,古義を講求せざるは莫し,尤も前代の及ぶ所に非ず。故に先づ『四書』を譯し初學の津梁を示し,『五經』に至りては,『易』は則ち象數之迹を略し,其の吉凶を示す。『書』は則ち佶屈の詞を疏し,顯易に歸す。『詩』は則ち其の詠嘆を曲摹して、而して句外之寄託想ふ可し。『春秋』は則ち細かに其の異同を核し,而して一字の勸懲畢(ことごと)く見(あら)はる。『禮記』は則ち名物度數,考訂すること必ず詳かにして、精理名言,推求すること必ず當なりて、尤も講家の聚訟(じゅしょう)を破るに足る。蓋し先儒の詁經,多く其の文を株守し,故に拘泥して通ずること鮮し。此の編の詁經(こけい)は,則ち其の意を疎通し、故に明白にして誤り無し。箋、傳の名を立てず,註、疏の體を用ひず,而して輕重の間に脣吻し,自然に刪述の微旨に契すること,厥(そ)れ由有るなり。學者是れ一編を守り,或は經義に因りて以て國書に通ぜば,而して同文の聖化四方に被り、或は國書に因りて以て通經義に通ぜば,而して明道の遺編萬世に彰はる。其の文教に裨有ること,均しく至大為り,堯帝の文章,尼山(孔子の意)の刪定と雖も、又た何を以てか茲(こ)れに加へんや。
乾隆五十四年正月臣恭みて校し上(のぼ)す
總纂官 臣 紀昀 臣 陸錫熊 臣 孫士毅 總校官 臣 陸費[土犀]
(参考サイト) 『寒泉』四庫總目 經部
November 02 満文論語 学而第一(下)
(満文) iodzi hendume,doloron i baitalan de, hūwaliyasun wesihun,nenehe han sai doro,erebe sain obufi,amba ajige songkolohobi. yabuci ojorakū bisirengge,hūwaliyasun be same hūwaliyacibe dorolon i kemurakū oci,inu yabuci ojorakū kai. 有子がいうには、「礼の作用では、調和が貴く、昔のハン[王]たちの道は、これを善とし、大小[みなこれに]倣ったのである。行うことが出来ないということは、調和を知り調和するにもかかわらず、礼の節度がないから、本当に行なうことができないのであるぞ」。 ※nenehe han:昔のハン、先王 (漢文) 有子曰、禮之用和爲貴、先王之道斯爲美、小大由之、有所不行、知和而和、不以禮節之、亦不可行也。 有子が曰わく、礼の用は和を貴しと為す。先王の道も斯れを美となす。小大これに由るも行なわれざる所あり。和を知りて和すれども礼を以てこれを節せざれば、亦た行なわるべからず。 有子がいわれた、「礼のはたらきとしては調和が貴いのである。むかしの聖王の道もそれでこそ立派であった。[しかし]小事も大事もそれ[調和]に依りながらうまくいかないこともある。調和を知って調和をしていても、礼でそこに折り目をつけるのでなければ、やはりうまくいかないものだ」。 ・・・・・・・・・・・・ (満文) iodzi hendume,akdun ojorongge,jurgan de hanci oci gisun be dahūci ombi.kundulerengge dorolon de hanci oci yertacun girucun aldangga ombi.daharangge hajilara be ufararakū oci,inu da obuci ombikai 有子がいうには、「信頼できる者は、義に近づけば言葉を繰り返すことができる。慎み深い者は,礼に近づけば恥辱から遠ざかることができる。よって親しい人を見失わなければ、[その人を]本当に拠り所とすることができるぞ」。 ※jurgan:物事の筋道、義 da:源、根源、拠り所 (漢文) 有子曰、信近於義、言可復也、恭近於禮、遠恥辱也、因不失其親、亦可宗也。 有子が曰わく、信、義に近づけば、言復(ふ)むべし。恭、礼に近づけば、恥辱に遠ざかる。因(よ)ること、其の親(しん)を失なわざれば、亦た宗(そう)とすべし。 有子がいわれた、「信[約束を守ること]は、正義に近ければ、ことば通り履行できる。うやうやしさは、礼に近ければ、恥ずかしめから遠ざかれる。たよるには、その親しむべき人を取り違えなければ、[その人を]中心としてゆける」 。 ・・・・・・・・・・・・ (満文) fudzi hendume,ambasa saisa jetere de ebire be bairakū,tere de elhe bairakū.baita de kicembime,gisun de olhošoro,doro bisirengge de baihanafi tuwacihiyaburengge、tacin de amuran seci ombikai. 先生がいうには、「君子は食べるときは満腹することを求めず、そこでは平安を求めない。事務に勤勉であって、言葉を謹み、道徳のある者に[教えを]求めに行き、[自分の欠点を]矯正するものは、学問を好むというべきであるぞ」 ※doro bisirengge:道徳のある者 baihanambi:求めに行く tuwacihiyabumbi:直す、矯正する、正す (漢文) 子曰、君子食無求飽、居無求安、敏於事而愼於言、就有道而正焉、可謂好學也已矣。 子の曰わく、君子は食飽かんことを求むること無く、居安からんことを求むること無し。事に敏にして言に慎み、有道に就きて正す。学を好むと謂うべきのみ。 先生がいわれた、「君子は腹いっぱいに食べることを求めず、安楽な家に住むことを求めない。仕事によくつとめて、ことばを慎重にし、道義を身に付けた人に就いて正してもらうというようであれば、学を好むといえるだろうね」。 ・・・・・・・・・・・・ (満文) dzi gung hendume,yadahūn bime haldaba akū,bayan bime cokto akūngge antaka.fudzi hendume,ombi,yadahūn bime sebjengge,bayan bime dorolon de amurangge de isirakū.dzi gung hengume,irgebun i nomun de,faitara gese,mudure gese, foloro gese、nilara gese sehengge、tere enteke be henduhebi dere.fudzi hendume,sy de,teni emgi ilgebun be gisureci ombi.dulekengge be alara de jiderengge be sahabi. 子貢がいうには、「貧しくてもへつらいがなく、豊かでも驕慢さがないというのはどうでしょうか」。先生がいうには、「良いことだ。[だが]貧しくても楽しむ者、豊かであって礼を好む者には及ばない」。子貢がいうには、「詩経で『切るように、削るように、刻むように、磨くように』といったのは、そのようなことを言っているのでしょう」。先生が言うには、「賜とは、はじめて共に詩を語ることができる。過ぎ去ったことを告げたときには[すでに]先のことを理解してしまう」。 ※antaka:どうか、いかがか irgebun i nomun:『詩経』 irgebun:詩 sy:賜(子貢の名)tere enteke:そのようなこと dulekengge:過ぎ去ったこと、以前のこと jiderengge:将来、先のこと (漢文) 子貢曰、貧而無諂、富而無驕、何如、子曰、可也、未若貧時樂道、富而好禮者也、子貢曰、詩云、如切如磋、如琢如磨、其斯之謂與、子曰、賜也、始可與言詩已矣、告諸往而知來者也、 子貢が曰わく、貧しくして諂(へつら)うこと無く、富みて驕(おご)ること無きは、何如(いかん)。子の曰わく、可なり。未だ貧しくして道を楽しみ、富みて礼を好む者には若(し)かざるなり。子貢が曰わく、詩に云う、切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如しとは、其れ斯れを謂うか。子の曰わく、賜(し)や、始めて与(とも)に詩を言うべきのみ。諸(こ)れに往(おう)を告げて来を知る者なり。 子貢がいった、「貧乏であってもへつらわず、金持ちであってもいばらないというのは、いかがでしょうか。」先生は答えられた、「よろしい。だが、貧乏であっても道を楽しみ、金持ちであっても礼儀を好むというのには及ばない。」子貢がいった、「詩経に『切るが如く、磋るが如く、琢つが如く、磨くが如く、』と[いやがうえにも立派にすること]うたっているのは、ちょうどこのことでしょうね。」先生はいわれた「賜よ、それでこそ一緒に詩の話ができるね。前のことを話して聞かせるとまだ話さない後のことまで分かるのだから。」 ・・・・・・・・・・・・ (満文) fudzi hendume,beyebe niyalma sarkū be joborakū,niyalma be sarkū de jobombi. 先生がいうには、「人が自分自身を知らないのを憂えず、人を知らないことを憂える」。 (漢文) 子曰、不患人之不己知、患己不知人也。 子の曰わく、人の己れを知らざることを患(うれ)えず、人を知らざることを患(うれ)う。 先生がいわれた、「人が自分を知ってくれないことを気にかけないで、人を知らないことを気にかけることだ」。 October 01 満文論語 学而第一(中)(満文) fudzi hendume,deote juse dosici,hiyoošun.tucici,deocin.ginggulembime,akdun oso.geren be gemu gosimbime,gosingga de kamjile.yabun fucuhe hūsun de,šu be taci. 先生がいうには、「弟子が[家に]入れば孝順、[家から]出れば悌。謹んで信頼があるようにする。衆をみな慈しみ、仁に近づき、行いに余力があるとき、学問を学べ。 (漢文) 子の曰わく、弟子(ていし)、入りては則ち孝、出でては則ち弟、謹みて信あり、汎(ひろ)く衆を愛して仁に親しみ、行いて余力あれば則ち以て文を学べ。 先生がいわれた、「若者よ。家庭では孝行、外では悌順、慎んで誠実にしたうえ、だれでも広く愛して仁の人に親しめ。そのようにしてなお余裕があれば、そこで書物を学ぶことだ」 ・・・・・・・・・・・・ (満文) dzi hiya hendume,sain be saišara de,boco de amuran be guribure,ama eme be uilere de,hūsun be akūmbume mutere,ejen be uilere de, beyebe waliayatai obume mutere,gucu gargan i baru guculere de, gisun akdun ojoro ohode,udu tacihakū seme,bi urunakū tacihabi sembi.子夏がいうには、「賢者を讃えることに、色好みを置き換えて、父母に仕えるときに、力の限りを尽くすことができ、主人に仕えるときに、身を捨てることができ、友人とつきあうときに、言葉に信頼があるようにできたときには、[彼が]たとえ『まだ学んではいない』といっても、私は必ず『もう学んでいる』という」 ※dzi hiya:子夏 saišambi:推奨する、讃える boco de amuran:色を好む uilembi:仕える、世話をする。hūsun be akūmbumbi:力の限りを尽くす ……me mutembi(=……ci mutembi):~することができる (漢語の「能、会」にあたる。能力的に「できる」) waliayatai:(副詞)捨て身で、命がけで ojoro:~となす、~となる、~をなす、~することができる udu……seme、たとえ~であっても、~といえども (漢文) 子夏曰賢賢易色、父母能竭其力、事君能致其身、與朋友交言而有信、雖曰未學吾必謂之學矣。 子夏が曰わく、賢を賢として色に易(か)え、父母に事(つか)えて能(よ)く其の力を竭(つく)し、君に事えて能くその身を致(いた)し、朋友と交わるに言いて信あらば、未だ学ばずと曰うと雖ども、吾は必ずこれを学びたりと謂わん。 子夏がいった、「すぐれた人をすぐれた人として[それを慕うことは]美人を好むようにし、父母に仕えてはよくその力をつくし、君に仕えてはよくその身をささげ、友達との交際ではことばに誠実さがある、[そうした人物なら、だれかが]まだ学問はしていないといったところで、わたしはきっと学問をしたと評価するだろう」 ・・・・・・・・・・・・ (満文) fudzi hendume,ambasa saisa ujen akū oci, horon akū,taciha seme,beki akū,tondo akdun be da obu.beye de isirakūngge de ume guculere.endebuhe be halara de ume sengguwendere.先生がいうには、「君子は重々しくないと、威厳がない、学んだなら、[頭が]固くない。忠信を根本とせよ。自分に及ばない者と友達づきあいをするな。間違えたのを改めるのにもたもたしてはいけないだろう」。 ※ ujen:(重量が)重い、(雰囲気が)重々しい horon:威厳、威光、威力。beki:固い。……isirakūngge:~に及ばない、達しない endebumbi:(故意でなく)誤る、間違える halambi:改める sengguwembi:(心に)恐れる、もたもたして進まない、怠る (漢文) 子曰君子不重則不威、學則不固、主忠信。無友不如已者。過則勿憚改。 子の曰わく、君子、重からざれば則ち威あらず、学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如(し)からざる者を友とすることなかれ。過てば則ち改むるに憚ること勿(な)かれ 先生がいわれた、「君子はおもおもしくなければ威厳がない。学問をすれば頑固でなくなる。[まごころの徳である]忠と信とを第一にして、自分より劣ったものを友達にするな。あやまちがあればぐずぐずせずに改めよ」。 ・・・・・・・・・・・・ (満文) t'sengdzi hendume,duben be olhošaroro, goro be amcara oci,irgen i erdemu i dahūmbidere. 曾子がいうには、「終わりを慎しみ、遠きことを追えば、民の徳は復興するだろう」。 ※duben:終わり olhošarombi:慎む、恐れる、慎重になる amcambi:(更に追求する、追う、追いかける。erdemu:才、徳 (漢文) 曾子曰慎終追遠、民德歸厚矣。 曾子の曰わく、終わりを慎み遠きを追えば、民の徳、厚きに帰す。 曾子がいわれた、「[上にたつものが]親を手厚く葬り祖先をお祭りしていけば、人民の徳も[それに感化されて]厚くなるであろう」。 ・・・・・・・・・・・・ (満文) dzi kin,dzi gung de funjime,fudzi,yaya gurun de isiha de,urunakū terei dasan be donjirengge baire de bio.eici alara de bio.dzi gung hendume,fudzi,nemgiyen,nesugen,gungnecuke,boljonggo, anahūjan de bahabi.fudzi i baimbi serengge,niyalma baire ci encu akū semeo. 子禽が子貢に問うには、「先生は、どの国に行った時も、必ずそこの政治を聞くことは[こちらから]求めたものか、それとも[むこうから]申し立てたものか」。子貢がいうには「先生は温和、温良、謹み深く、慎ましく、謙譲である。先生の「求める」ということは、人の「求める」ことと違いがないというのか[いや、違う]」。 ※dzi kin:子禽 dzi gung:子貢nemgiyen:温和、温良。 nesugen:温和、温良。gungnecuke:謹み深い。boljonggo:つつましい、約束を守る。anahūjan:謙譲。 (漢文) 子禽問於子貢曰、夫子至於是邦也、必聞其政求之與抑與之與。子貢曰夫子溫良恭儉讓以得之、夫子之求之也其諸異乎人之求之與。 子禽、子貢に問いて曰わく、夫子の是(こ)の邦に至るや、必らず其の政を聞く。これを求めたるか、抑々(そもそも)これを与えたるか。子貢が曰わく、夫子は温良恭倹譲、以てこれを得たり。夫子のこれを求むるや、其れ諸(こ)れ人のこれを求むるに異なるか。 子禽が子貢にたずねていった、「うちの先生(孔子)はどこの国にいかれても、きっとそこの政治の相談を受けられる。それをお求めになったのでしょうか、それとも[向こうから]持ちかけられたのでしょうか。」子貢は答えた、「うちの先生は、温(おだやか)で良(すなお)で恭々(うやうや)しくて倹(つつま)しくて譲(へりくだり)であられるから、それでそういうことに[どこの国でも政治の相談をうけられることに]なるのだ。先生の求めかたといえば、そう、他人のもとめかたとは違うらしいね[無理をしてことさらに求めるのとは違う]」 。 ・・・・・・・・・・・・ (満文) fudzi hendume,ama bisire de,terei mujin be tuwamibi,ama akū oho de,teresi yabun be tuwambi.ilan aniya otolo,ama i doro be halarakū oci hiyoošungga seci ombidere. 先生がいうには、「父がいるときは、その志を見る。父が亡くなったときは、その行いを見る。三年の間、父の道を改めなければ孝行者といえるだろう」。 ※bisire de 在りし時。mujin:志、志向 akū oho:(人が)亡くなった ……otolo:~の間、~のうちに。hiyoošungga:(漢)孝順な、孝行者 ……ci ombi:~できる(漢語の「可」にあたる。法律ないし道徳上、客観的条件が満たされて「できる」) (漢文) 子曰父在觀其志,父沒觀其行、三年無改於父之道可謂孝矣。 子の曰わく、父在(いま)せば其の志しを観、父没すれば其の行いを観る。三年、父の道を改むること無きを、孝と謂うべし。 先生がいわれた、「[人物の評価には]父のあるうちにはその人の志を観察し、父の死後ではその人の行為を観察する。[死んでから]三年の間、父のやり方を改めないのは、孝行だといえる」。 September 24 満文論語 学而第一(上)(凡例) ・テキストは四庫全書本の『御製繙譯論語』を使用 ・満文・満文和訳・漢文・漢文訓読・漢文現代語訳の順に掲載。 ・満文はメーレンドルフ式ローマ字で転記、逐語訳はしないが、できるだけ直訳。 ・満文和訳文、漢文現代語訳の[ ]内は管理人が補った場所。 ・漢文では正字体を使用し、訓読と現代語訳では新字体を使用する。訓読文のルビは( )で示す。 ・漢文訓読と漢文現代語訳は論語の世界と金谷治訳注『論語』を参考とした。 ・適宜改行。原文の改行には必ずしも従わない。 ・各句ごとに点線で区切りを入れる。 参考文献 (史料) 『御製繙譯論語』(『欽定繙譯五経四書』(四庫全書本)『欽定四庫全書』上海古籍出版社 1987) (論著・注釈等) 朱熹『四書章句集注』(新注)新編諸子集成(第一輯) 中華書局 1983 金谷治訳注『論語』岩波文庫 202‐1 岩波書店 1963(2003年第7刷) 金周源(大塚忠蔵訳) 「満文小学研究」(『満族史研究』第1号 2002) (満文教科書・辞書等) 河内良弘 著 清瀬義三郎則府、愛新覚羅烏拉熙春 助編『満洲語文語文典』京都大学学術出版会 1996 安双成 主編『満漢大辞典』遼寧民族出版社 1993 劉厚生 等編『簡明満漢辞典』河南大学出版社 1988 ・・・・・・・・・・・・ 御製繙譯論語(四庫全書本) 卷一 leolen gisuren bithe.dergi. 論語 上 tacingga ujui fiyelen 学ぶこと 第一 篇 學而第一 ・・・・・・・・・・・・ (満文) fudzi hendume,tacimbime erinderi uribuci,inu urgun waka. gucuse bifi goro baci jici,inu sebjen waka.niyalma sarkū seme korsorakū oci,inu ambasa saisa waka. 先生がいうには、「学んだときそのつど復習する、本当にうれしいではないか。友人達が遠いところからきたら、本当に楽しいではないか。人が(自分を)知らないからといって恨まないのであれば、まさに君子ではないか」。 ※fudzi:(漢)夫子 inu…waka : まさに(本当に)~ではないのか。不‧‧‧‧‧‧嗎?(反語・反問)ambasa saisa:君子 (漢文) 子曰、學而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎。 子の曰わく、学びて時にこれを習う、亦た説(よろこ)ばしからずや。朋あり、遠方より来たる、亦楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや。 先生がいわれた、「学んでは適当な時期におさらいをする、いかにも心嬉しいことだね[そのたびに理解が深まって向上していくのだから]。だれか友達が遠い所からからも尋ねて来る、いかにも楽しいことだね[同じ道について語り合えるから]。人が分かってくれなくても気にかけない、いかにも君主だね[凡人にはできないことだから]」。 ・・・・・・・・・・・・ (満文) iodzi hendume,tere yabun,hiyoošun deocin bime,dergi be necire de amurangge komso dere.dergi be necire de amuran akū bime,facuhūn be deribure de amurangge akū kai.ambasa saisa fulehe be kicumbi.fulehe ilici doro banjimbi.hiyoošun deocin,serengge,tere gosin be yabun fulehe dere.hiyoošun deocin,serengge,tere gosin be yabun fulehe dere. 有子がいうには、「その行いが孝悌であって、目上のものにたてつくことを好むものは少ないだろう。目上のものにたてつく好みがないのに、乱を起こすのを好む者はいないのである。君子は根本で努力する。根本が立てば道が生まれる。孝悌というもの、それが仁愛の行いの根本であろう」。 ※iodzi:有子 hiyoošun:(漢)孝順、孝、親孝行 deocin:悌。兄に弟として仕える礼 dergi:ここでは「目上」、「お上」の意。fulehe:(植物の)根、根本(こんぽん) (漢文) 有子曰其為人也孝弟而好犯上者鮮矣、不好犯上而好作亂者未之有也、君子務本本立而道生、孝弟也者其為仁之本與。 有子が曰わく、其の人と為りや、孝弟にして上(かみ)を犯すことを好む者は鮮(すく)なし。上を犯すことを好まずしてして乱を作(な)すことを好む者は、未だこれ有らざるなり。君子は本(もと)を務む。本(もと)立ちて道生ず。孝弟なる者は其れ仁の本たるか。 有子がいわれた、「その人柄が孝行悌順でありながら、目上に逆らうことを好むような者は、ほとんど無い。目上に逆らうことを好まないのに、乱れを起こすことを好むような者は、めったに無い。君子は根本のことに努力する、根本が定まって初めて[進むべき]道もはっきりする。孝と悌というものこそ、人徳の根本であろう」 。 ※其為仁之本與:朱熹の新注では「仁を為(おこ)なう本か」と読む。満洲語訳でも新注に従い「tere gosin be yabun fulehe dere. それが仁愛の行いの根本であろう」としている。 ・・・・・・・・・・・・ (満文) fudzi hendume,faksi gisun, araha cira,gosin komso dere. 先生がいうには、「巧みな言葉、作った表情、仁愛は少ないではないか」。 (漢文) 子曰 巧言令色鮮矣仁。 子の曰わく、巧言令色、鮮(すく)なし仁。 先生がいわれた、「口がうまくて愛想のいい顔つきの者には、ほとんど無いものだよ、仁の徳は」。 ・・・・・・・・・・・・ (満文) ts'engdzi hendume,bi ineggideri ilan hacin be,mini beyede kimcimbi.niyalma jalin bodoro de,tondo akū ayoo.gucu gargan i baru guculere de,akdun akū ayoo.ulahangge be ureburakū ayoo.ulahangge be ureburakū ayoo. 曾子が言うには、「私は毎日三つの件で、自分自身を検討する。人のために計画を立てるとき、公平さを欠いているのではないか。友人たちに付き合うとき、誠信がないのではないか。[人に]伝えたことを[実は自分では]おさらいをしていないのではないか」。 ※ ts'engdzi:曾子 kimcimbi:詳しく検討する、考察する ayoo :(心配・不安の語気) ~なのではないか、~なのではなかろうか。 (漢文) 曾子曰吾日三省吾身、為人謀而不忠乎、與朋友交而不信乎、傳不習乎。 曾子の曰わく、吾れ日に三たび吾が身を省みる。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝うるか。 曾子がいわれた、「私は毎日何度も我が身について反省する。人の為に考えてあげて真心からできなかったのではないか。友達と交際して誠実でなかったのではないか。よくおさらいもしないことを[受け売りで]人に教えたのではないかと」。 ・・・・・・・・・・・・ (満文) fudzi hendume,minggan sejengge gurun be dasara de,baita be ginggunlembime akdun oso.kemneme baitalambime niyalma be gosi.irgen be takūrara de erile. 先生が言うには、「千台の車の国を治めるには事業を謹んで、信頼があるようにせよ。節約して事業を行い人を慈しめ。民を使役するのは時期に応じてせよ」。 (漢文) 子曰道千乘之國、敬事而信、節用而愛人、使民以時。 子の曰わく、千乗の国を道びくに、事を敬して信、用を節して人を愛し、民を使うに時を以てす。 先生がいわれた、「諸侯の国を治めるには、事業を慎重にして信頼され、費用を節約して人々をいつくしみ、人民を使役するにも適当な時節にすることだ」。 September 22 満文論語―漢籍の満文翻訳について―1、入関前後
清朝(満族)はその成立当初から、漢族の文化を貪欲に吸収しつづけた。 すでに、ヌルハチ時代から漢籍の翻訳が開始されていたが、ホンタイジ時代には中国(明)の政治体制を迅速に導入する必要から、漢籍の満洲語(満文)への翻訳が国家プロジェクトとして積極的に遂行されるようになった。 主な担当者は漢語を得意としたダハイ(達海)で、『刑部會典』、『素書』、『三略』、『国語』を翻訳し、彼の生前に未完成だったものとして『資治通鑑(綱目?長編?)』、『六韜』、『孟子』、『三国演義』の翻訳があった(後継者により順治年間に完成)。 そのほか、『遼史』、『金史』、『元史』といった、中国の一部または全域を支配した北方騎馬民族の正史の翻訳も平行して行われ、これも崇徳四年(1639)に完成を見ている。 このように入関前後の翻訳書は、儒教の経典や法制書、兵書、史書など、国家のイデオロギーや政治・軍事のノウハウに関するものに集中しており、清朝の指導層が国家を統治する上ですぐに役立つ実用的な方面の知識を優先して導入しようとしたことがわかる。 それは、満文『遼史』、『元史』の序文でホンタイジの勅語を引用して、これらの正史を翻訳したのは過去の歴史を顧みて政治や戦争の指針とするためであるとはっきり謳っていることや、後に満文『三国演義』が完成(順治七年 1671)したときに、摂政王ドルゴンが「この書は忠臣、義賢、孝子、節婦の善行を鑑とし、また奸臣が国を誤り悪政が国を乱したことを戒めとできる」として、諸臣四十七人に白銀1600余両を与えた事実からも明らかである。 2、入関後 順治元年(1644)、清が入関し中国内地を支配下におさめると、翻訳書もこれまでの政治・軍事に関するものばかりでなく、あらゆる分野の漢籍が満洲語に翻訳されはじめた。 たとえば『大学』、『中庸』、『三字経』、『千字文』、『孝経』、『菜根譚』、『孫子兵法』など中国思想、儒学の経典のみにとどまらず、『幾何原本』、『算法原本』など西洋の数学書、仏教の『大蔵経』、果ては『聊斎志異』、『金瓶梅』といった小説までも満洲語に翻訳されている。 そのほかには『新約聖書』や西欧の解剖学の翻訳まで存在する。
歴史書ではその他『史記』や『資治通鑑綱目』の翻訳が有名である。 なお、余談であるが、清初の西洋の宣教師たちは漢字の習得にかなりの時間を要する中国語よりも、むしろ満洲語訳された漢籍によって中国古典の知識を吸収していたという。
3、『御製繙譯論語』 儒学の経典の中でも、四書(『論語』、『大学』、『中庸』、『孟子』)は、朱子学が清朝の公式イデオロギーとされたため特に重視された。そのため、康煕年間から乾隆年間にかけては、『清文鑑』の編纂に見られる満洲語の規範化の動きともあいまって、たびたび満洲語訳が刊行された。これには満文によって出題される翻訳科挙や八旗科挙の基準作りという面もあると思われるがここでは詳述しない。 (満洲語の規範化の代表例として、漢語からの音訳語彙(借用語彙)に対し、あらたな満洲語を創出するというものがある。例:医師 daifu(大夫)→oktosiなど) 今回取り上げる『御製繙譯論語』は乾隆二十年(1755)に刊行された『御製繙譯四書』の一部分である。 そして、『御製繙譯書経』(乾隆二十五年 1760)、『御製繙譯易経』(乾隆三十年 1765)、『御製繙譯詩経』(乾隆三十三年 1768)、『御製繙譯禮記』(乾隆四十八年 1783)、『御製繙譯春秋』(乾隆四十九年 1784)をあわせた『御製繙譯五経』も刊行された。 これらをまとめて刊行されたのが『欽定繙譯五経四書』(乾隆四十八年 1783)で、四書五経の満洲語訳のいわば決定版となった。 なお『御製繙譯四書』は、四書全てに朱子の『四書集注』にある『序説』がそのまま掲載されている。本文は満漢合壁で、『論語』部分にざっと目を通してみたところでは、満文訳も概ね『四書集注』の解釈を下敷きとしているようである。 参考文献・サイト(順不同)
朱子『四書章句集注』(新編諸子集成(第一輯) 中華書局 1983)
『御製繙譯論語』(『欽定繙譯五經四書』(四庫全書本)『欽定四庫全書』上海古籍出版社 1987)
金周源(大塚忠蔵訳)「満文小学研究」(『満族史研究』第1号 2002)
渡辺純成「満洲語のユークリッド―東洋文庫所蔵の満文『算法原本』について―」(『満族史研究』第3号 2004)
井黒忍「満訳正史の基礎的検討―『満文金史(aisin gurun i suduri bithe)』の事例をもとに―」(『満族史研究』第3号 2004)
满族网 历史分馆 http://manchu.home.sunbo.net/
(写真をクリックすると拡大。学而篇冒頭部分です。)
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