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    November 20

    北京游記之三 ―夜の前門・天安門―

    11月2日夕方。

    瑠璃廠をぶらぶらした後、鉄樹斜街を抜けて大柵欄まで歩く。

    もう日が暮れているのに、狭い道を無灯火の自転車がビュンビュン走ってくるんで、発見が遅れて何度も接触しそうになった。

    大柵欄の商店街は観光客でにぎわっていた。

    CIMG0107 CIMG0110

    続いて、最近民国時代風にリニューアルされた前門大街へ。

    前門大街(北方向)

    前門大街(南方向)

    前門大街001

    前門大街002

    正陽門箭楼

    牌楼

    模造路面電車

    なんというか、民国時代風テーマパークといった感じ(日本で言えば大正~昭和20年代)。

    路面電車もあったが、大連で本物を見慣れているので、あまり面白みはなかった。

    旧正陽門駅

    旧正陽門駅

    現在の北京駅ができるまでは、ここが北京のターミナル駅だった。

    正陽門(前門)

    正陽門(前門)

     

    次に、夜の天安門へ。

    広場は夜間立入禁止となっており、広場出入り口には警官が立っていた。

    夜の毛主席紀念堂

    夜の毛主席紀念堂

    広場入口には武装警察が立哨。

    民族団結柱

    民族団結柱 国慶節にあたって立てられた柱、各民族の絵が描かれている。

    夜の天安門

    ライトアップされた天安門。

    天安門と衛兵

    天安門と衛兵

    天安門中央を背に不動の姿勢で立っている。気勢が充実している。訓練の賜物。

    私が撮影を終えた直後に次の衛兵と交代。私が撮影を終えるのを待ってくれていたようだ。

    衛兵さん、本当にありがとうございました!

     

    卫兵在我拍了之后接班,他可能在等我拍完。

    卫兵同志,太谢谢了!

    あなた愛してる

    「あなた、愛してる」

    北京飯店前 雪の上に書かれた文字。

     

    王府井まで歩いて、マクドで夕食を取ったあと、タクシーでホテルに帰ろうとしたが、近距離なのに30元とか抜かしやがる。

    結局地下鉄で帰った。

    November 18

    北京游記之二 ―大雪、火器営―

    10月31日~11月1日

    城壁を見終わってから、崇文門のホテルで翻訳会社のレクチャー・会議に参加。

    普段メールや電話でしかコミュニケーションが取れないので、直接顔を合わせることができる貴重な機会。

    会議後、近くのレストランで食事。

    8時半ごろ解散し、タクシーで宿泊予定のホテル付近まで送ってもらった。

     

    ホテルは大柵欄と瑠璃廠付近の路地にある遠東飯店、バックパッカー御用達のホテル。宿泊客は欧米人が多い。

    部屋は地下一階のドミトリー(4人部屋)、わりと清潔。一泊45元。バックパッカー時代を思い出す。部屋にはなぜかコンセントがない。勝手に電化製品を使うなということだろうか。携帯の電池が切れかかっていたので、フロントに預けて充電しておいてもらうことにした。

    自分の部屋には幸い誰も泊まっていなかったので、ベッドに寝転がって本を読む。

    12時ごろようやく眠たくなってきたので寝た。

     

    11月1日朝、フロントに携帯電話を取りにいったとき、外を見るとなんと大雪!

    朝、ヨーロッパ人らしい人が私の泊まっている部屋に入ってきた。

    本人は「ユーゴスラビア人」と言っていた。日本語と中国語が少しできる人で、話を聞いているとアジアの旅行経験が豊富なようで、日本にも行ったことがあるらしい。ユーゴスラビアの方と少し話した後、満洲族の友人のAmin aguとの待ち合わせ場所である西直門駅に向かうべく、まず和平門駅まで歩く。

    雪化粧した瑠璃廠もなかなか風情があっていい。

    雪の北京 雪化粧した瑠璃廠

    和平門から地下鉄2号線に乗り、西直門に到着。ホームでAminと落ち合った。

    約一年半ぶりの再会。

     

    Aminは北京市西城区の文化委員会(日本の教育委員会にあたる)で文化財保護の仕事をしている。

    Aminからは西城区文化委員会編の『西城区各級文物保護名録』をプレゼントされた。内容は西城区の文化財・建築の写真と現況の説明。感謝感激!

    地下鉄で近況や清朝史の話題についていろいろ話し合った。

    地下鉄を2回乗り換えて、10号線の終点の巴溝に到着。地上に出ると相変わらず雪が降り続いていた。

    バスに乗り、今回の目的地火器営へと向かう。

    火器営とは清朝の八旗の鉄砲隊・砲兵隊で、現在も子孫の満洲族が集住している。

    (以前書いた記事 火器営-清朝の諸兵科連合部隊-

    約9年ぶりの再訪。

    バスを降りると、高層アパートと既に取り壊された営房跡地が見えた。

    火器営跡地

    標識

    高層アパート

    2000年3月に訪問した頃はまだ営房がかなり残存しており、八旗方位に基づいた地割も維持されていたが、今はほとんど全て撤去され、高層アパートとなっていた。

    Google Earthで事前に確認はしていたものの、実際に現地に立ってみると、やはり寂しさがこみ上げてくる。

     

    2人で2000年に訪問した「満族文化站」を探し回った。

    いろいろな人に聞いて回るがなかなか見つからず、ちょうど昼飯時になったので、付近の中華風ファーストフードで食事。

    私が冗談で「なんで八旗方位に基づいた区画にせえへんねん?ワシは八旗方位やったらわかるのになあ」と言ったら、Aminも笑っていた。

    食事後、しばらく探し回ってようやく発見。

    満族文化站001

    満族文化站002

    日本の団地の公民館、コミュニティセンターのような場所の一角。

    内部も日本の公民館というか自治会のような雰囲気。日曜日だったので、中は係のおばさん一人だけだった。

    Aminが私が2000年に火器営を訪問したことがあること、私の修士論文の題材が火器営だったことを紹介すると、おばさんはとても喜んでいた。

    中の図書室のような場所はいろいろ飾り付けられていた。先日話をお聞きしたところ、建国60周年の民族団結記念パーティを開催したところだという。他にも火器営の満洲族と北京の満洲族有志で色々な文化イベントを行っているらしい。

    以前の火器営の営房に住んでいた人たちは高層アパートに移ったという。

    いろいろお話をお聞きした後、連絡先とメールアドレスを書いた紙を渡して辞去。

     

    火器営の修士論文は手元にあるが、今読むと文章が滅茶苦茶だし、しかも10年前に書いたものなので最近の研究成果が反映されておらず、大幅に書き直す必要がある。

    とりあえず暇を見て少しずつ改訂し、来年以降ブログに連載していきたいと思っている。

     

    その後、バスを乗り継いでAminの通う中央民族大学へ。

    キャンパスを散歩しながらAminと満洲族の話題や歴史の話題についていろいろ話した後、キャンパス内の書店へ。

    さすが中央民族大学の書店、小さいながらも各民族の重要な文献が満遍なくそろっている。文献についてAminと侃侃諤諤やりながら、本を一冊一冊選び、最終的に満洲・シベ族関連の本4冊とコーカンド=ハン国関連の研究書、北京の文化に関する本を購入。Aminの学生用割引カードを利用させてもらったおかげで2割引で買えた。

    『五体清文鑑』の影印本も置いてあったが、値段も高いし、かさばるので今回は購入を見送った。

    書店のウイグル語コーナーではウイグル族らしい学生が腰掛に座って座り読みをしていた。

     

    本を買ったのち、バスで西直門駅に戻り、Aminと別れた。

    今回はAminと会えたおかげで本当に楽しかった。

     

    地下鉄でいったん和平門に戻り、さらに歩いてホテルに戻る。

    雪はほぼ止んでいた。

     

    ホテルでしばらく休んだ後、6時ごろまで瑠璃廠の本屋街をぶらぶら。

    ただ今回は古本はこれといった本が見つからなかったし、欲しいと思った新本もAmazonで買える本ばかりだったので、わざわざ荷物を増やすこともあるまいと思って、結局一冊も買わなかった。




    November 06

    北京遊記之一 ―北京城東南角城壁―

    10月31日から11月2日まで、翻訳会社のレクチャー参加と友人に会うために北京に行ってきました。

    まずは10月30日~10月31日の出来事から。

    …………………………………………………………………………………………………………………………………………

    10月30日~10月31日

    10月30日夜、家からタクシーで大連駅へ。発車までまだ一時間半もあったので、駅前の勝利広場の吉野家で牛丼セット(牛丼並+茶碗蒸+キムチ 18元)を食べて腹ごしらえ。

    食べ終わった後、大連駅の候車室(待合室)へ移動し、9時ごろに北京行きK681次列車の硬臥(B寝台)に乗車。内部は片側が寝台、片側が通路となっている。私の乗った車輌は背広を着たビジネスマンが多かった。やっぱり普段乗ってる硬座(二等車)とは客層が全然違う。

    取引先の日本人からもらったらしい名刺を眺めているビジネスマンもいた。

    列車は9時半に定刻通り出発、私のベッドは3段ベッドの中段で上下空間がかなり狭いので、窓際の補助椅子(上段、中段ベッドの乗客用)に座って本を読んだ。倉沢進・李国慶著『北京ー皇城の歴史と空間ー』(中公新書 2007)、北京の都市史と社会史を扱った本。

     

    10時ごろに中段ベッドに寝転がり、10時半の消灯まで引き続き読書。

    最近生活が夜型なので、寝台車で眠れるかどうか心配だったが、気がついたら寝ていた。

     

    翌朝6時半、車内放送と革命歌曲「歌唱祖国」(オリンピックの開会式で女の子が口パクで歌った)の勇ましいメロディでたたき起こされた。いつの時代や?朝から革命歌曲かいな?

     

    朝食に、勝利広場のコンビニで買っておいたパンを食べる。それからレクチャー参加のため、背広に着替えた。

    私のそばでは背広を着たビジネスマン二人がクリアファイルに綴じた資料を読みながらあれこれ議論していた。プレゼンの資料だろうか。

    列車は朝8時40分ごろ北京駅に到着。向かいにCRH和谐号(中国版新幹線)が停車していた。本当に新幹線そっくりだった。

     

    レクチャーは午後なので、午前中は北京駅の近くの城壁跡公園を見学することにして、改札口付近の預かり所にバッグを預けた(20元)。預かり代20元とは、さすが北京。大連なら10元ぐらいだろう。

    身軽になったところで、北京駅の大時計の鐘が聞こえてきた。もう9時か。

    メロディはなんと「東方紅」。ずいぶんひさしぶりに聞いた。中国は建前上はまだ毛沢東主義らしい。

    駅前広場にはカバン代わりに荷物を詰め込んだ肥料袋を担いだ出稼ぎ農民らしき集団がたくさんいた。

     

    そのまま歩いて北京駅の近くの城壁跡公園、北京明城牆遺址公園へ。

    明城牆遺址公園は北京の内城城壁(位置は地下鉄2号線の路線とほぼ同じ)の東南角にあたる。北京は明代以降高い城壁に囲まれてきたが、1960年代までにほとんどが撤去され、現在残存しているのは内城の東南角(北京駅付近)と西南角のみとなっている。前夜に『北京』で、城壁保存を訴えた梁思成のエピソードを読んだところだったので、感慨もひとしお。

    11時ごろまで城壁を見た後、北京駅前に戻り、少し早めに昼食

    昼食後預かり所でバッグを受け取り、午後のレクチャーへ。

     

    明城牆遺址公園入口(北京站東街) 公園紹介

    北京明城牆遺址公園入口(北京站東街、建国門内大街十字路)

    建国門内大街付近

    東南角楼

    内城東南角 角楼(東南方向から撮影)

     角楼内部001 角楼内部002

    角楼内部

    城門模型 三眼銃

    内部には各城門の模型や当時の武器などを展示

    城壁断面

    城壁が鉄道で寸断

    火車券洞外側

    火車券洞

    民国時代、1915年に京師環城鉄路(正陽門(前門)―東直門―西直門)が敷設された際に城壁に開けられた鉄道用出入口。京師環城鉄路は戦後廃線、この火車券洞は現存する唯一の遺構。

    1916年当時の路線図 京师街道并环城铁路图 - 交通 - 京城舆图 - 北京记忆首页

    CIMG0028

    火車券洞内側

    火車券洞説明 

    東南角楼から北京駅を望む

    東南角楼から北京駅を望む。

    左は火車券洞、環状鉄道は現在の線路が走っている場所を横切る形で走っていた。画面奥に見えるのが北京駅。

    信号所跡

    京奉鉄路信号所

    北京と奉天(現瀋陽)を結ぶ京奉鉄路は、正陽門(前門)を起点とし、内城城壁の南を通過していた。1959年、現在の北京駅建設と正陽門駅廃止により当区間の線路を撤去。

    京奉鉄路については、こちらのサイトがよくまとまっている。

    百年の鉄道旅行 京奉鉄路

    CIMG0078 CIMG0080

    京奉鉄路のレールと説明

    城壁001

    城壁002

    墩台

    崇文門付近

    崇文門付近

    崇文門付近の切れ目。内側の版築構造と外側の煉瓦の組み合わせ方がよくわかる。

    崇文門付近の切れ目

    煉瓦層の厚みは約1.5~2mぐらい


    September 30

    国境の石碑

    霍爾果斯(ホルゴス)国境 2005.8

    新疆イリ(グルジャ) ホルゴス(2005年8月) 目の前の小川が国境線

    向こう岸の白い建物はカザフスタンの税関

     

    今後、新疆がどうなるかはわからないが、見ず知らずの日本人旅行者の俺に親切にしてくれたウイグル、漢、シベ、カザフその他各民族のみんなが幸せになれるよう祈っている。

    June 12

    北京2006

    2006年春の北京の天安門です。最近行ってないけど、どうなってるのかなあ。

    天安門とおのぼりさん

    おのぼりさんたち

    BIG BROTHER IS WATCHING YOU

    毛主席はあなたを見守っています 毛主席在看着你

    Chairman Mao is watching you

     

    May 24

    グルジャ(伊寧 イーニン)

    2005年8月に新疆を旅行したときに訪れた街。イリ=カザフ族自治州の州都で、カザフ族をはじめとするいろいろな民族が居住している。現地では本来北京との時差が2、3時間ほどあるのに強引に北京時間を施行しているので、会社や公共機関は10時出勤、19時退勤だった。夏の場合北京時間の8時はまだ夜明け早々で、日が暮れるのも21時以降だった(非公式の場では北京時間から2時間遅れの「新疆時間」も使われている)。

    写真はすべて2005年8月撮影。

     大通り

    中心部の大通り、最近できた建物が多い。

    バザール

    下町のバザール、この辺は完全にカザフ人ばかり。

     香辛料いろいろ

    香辛料いろいろ。見てるだけで面白い。

    伊寧(イーニン)市 警察  病院の看板?

    警察の看板(中国語とカザフ語の対照)と病院の看板?

    イリ川の橋 

    イリ川に架かる橋、付近は水浴びや泳ぎを楽しむ人が多かった。この橋を越えて15分ほど車を走らせるとチャブチャル(察布査爾)シベ自治県へ。

     

    以下はグルジャの有名なモスク二ヶ所。

    まずは伊犁回族大寺(陝西大寺)。

    伊犁回族大寺

    伊犁回族大寺

    伊犁回族大寺(陝西大寺)

    乾隆年間に建立された内地の回族のモスク(清真寺)。中国の陝西様式の建築で、西安のモスク(清真大寺)に類似。近くには門前町といった感じの店がたくさんある。

    次はバイトゥラモスク(拝図拉清真寺)。こちらも乾隆年間に建立。

    バイトゥラモスク

    バイトゥラモスク(拝図拉清真寺)塔  

    バイトゥラモスク(拝図拉清真寺)

     

    元々は中国様式の建物だったが、最近新たにアラブ風の建物を再建、モスクの中は壁画が美しかった。内部は撮影禁止なので、写真はなし。

    2枚目の写真は門の付近にある中国風の塔。中国風の屋根の頂上にイスラームを象徴する新月の形をした飾りがあるのが面白い。

    モスクへの入り口を探し回っていたとき、モスクの関係者の方に呼び止められ、モスクの中に入れていただいた。

    だが、そのとき私はアウトドア用のトレッキングサンダルを履いていて足が汚れていたのを注意され、奥までは入れなかった。その関係者の方によるとモスクに礼拝する際には、泥足やはだしはご法度とのこと。そういえば新疆ではモスクの前で靴下を売っていたが、それは礼拝用だったらしい。

    以後、モスクを見学する際には清潔感に注意するようにしている。

    そのほかにもイスラームについていろいろお話を聞かせていただいた。

    見ず知らずの異教徒に親切に応対していただき感謝感激!

    イリ地方の林則徐

    2005年夏に、新疆のカザフスタン国境付近にあるグルジャ(伊寧、イーニン)に旅行した時、現地で伊犁林則徐紀念館を見学。以下の写真はパソコン内の写真を整理していて発見したもの。

    林則徐といえば、清末にアヘンの取り締まりに尽くした憂国の士で、一見新疆とは縁が遠いように見えるが、実はアヘン戦争の後、新疆に左遷され、当地の農政に尽くしたらしい。

    林則徐紀念館正門

    伊犁林則徐紀念館 正門(2005年8月撮影)

    林則徐像

    林則徐像

     

    展示品は大したものはなく、歴史年表や林則徐の現地での政務や農政についての説明パネルが主体。

     

    林則徐像はウルムチにもある。新疆でなぜ林則徐が強調されるかというと、第一に内地と新疆との歴史的つながりを強調すること、第二に麻薬・覚せい剤防止の啓蒙という二つの意図が考えられる。

    特に後者については、90年代以降中央アジアから新疆への麻薬の流入が目立っている。

    林則徐紀念館 啓蒙

    麻薬・覚せい剤の害を啓蒙。紀念館玄関横に置かれていた。

    February 22

    金閣寺、銀閣寺

    1月に帰省した時の写真です。ここも中国人観光客が多かったですね。

    金閣

    金閣

    金閣寺山門

    金閣寺山門

    ところで、金閣寺の土産物屋でお守りを数十個も買い込んでいる中国人女性を目撃。

    まさに鉄壁の守り(^-^)

    (友人に配るのかもしれませんが……)

     銀閣寺山門

    銀閣寺山門

    銀閣寺庭園

    庭園

    銀閣寺石庭 

    石庭、奧の建物が修理中の銀閣

    残念・・・・・・

     

    February 21

    大阪城

    一月末に帰省した時の写真です。

    青屋口門

    天守閣と極楽橋

    天守閣(北西側から)

    天守閣

    旧第四師団司令部、旧大阪市立博物館 天守閣から生駒山方向を望む

    金鯱 合戦模型(真田隊VS松平隊)

    模型拡大(真田幸村) 夏の陣屏風(部分写真)

    一番櫓

    旧正月ということもあり、中国人観光客の姿が目立ちました。

    (大手門や桜門の蛸石の写真を撮り忘れてました。無念)

    January 01

    カシュガル旧市街(喀什老街)(2005年8月)

    2005年8月に新疆を旅行したときのカシュガルの写真です。

    朝、カシュガルの旧市街をぶらぶらしてみました。なんだか中東っぽい雰囲気でした。

    カシュガル旧市街(喀什老街)市場とロバ

    朝の市場の雰囲気っていいですね。朝のさわやかさと「さあ、元気に商売するぞ!」という活気が入り混じった独特の味わいがあります。

    カシュガル旧市街(喀什老街) 002 カシュガル旧市街(喀什老街) 003 カシュガル旧市街(喀什老街) 004 カシュガル旧市街(喀什老街) 005 カシュガル旧市街(喀什老街) 006 カシュガル旧市街(喀什老街) 007 カシュガル旧市街(喀什老街) 008  カシュガル旧市街(喀什老街) 009 カシュガル旧市街(喀什老街) 010  カシュガル旧市街(喀什老街) 013 カシュガル旧市街(喀什老街) 003 カシュガル旧市街(喀什老街) 011 カシュガル旧市街(喀什老街) 021 カシュガル旧市街(喀什老街) 022 カシュガル旧市街(喀什老街) 014

    カシュガル旧市街(喀什老街) 尖塔

    去年新聞報道されていましたが、この旧市街ももうすぐ大規模な再開発がおこなわれるとのこと(※)。

     

    ぜひともこの独特な文化的景観を残してほしいものですが、どうなることやら。

     

    あと、こういうのもありました。

    カシュガル日報 ウイグル語版 カシュガル日報 漢語版

    カシュガル日報(喀什日报)

    左がウイグル語版、右が漢語(中国語)版

     

    BATMAN 

    バットマンの立て看板。ウイグル文字のレタリングが秀逸!

    (写真は全て2005年8月撮影) 

     

    ※朝日新聞 2008年8月25日(電子版)

    カシュガル旧市街に取り壊し通告 ウイグル族「横暴だ」 - 国際

    http://www.asahi.com/international/update/0825/TKY200808250296.html

    (現在リンク切れ、有料で閲覧可能。他サイトにも転載あり

    ちょっと横暴な気がしますね。まあ、これがこの国のやり方なんでしょうが。

    大連でも立ち退きや地上げでもめてる所が多いですからねえ~

    April 19

    花見にいってきました

    今日、彼女と一緒に旅順の龍王塘ダムに花見に行ってきました。
    ここは大連の桜の名所として有名で、休日ということもあり、すごい人出。
    入り口から1キロ先まで車列や人の列が伸びていました。
     
    桜はもう満開。
    例年は四月下旬から五月初めが見ごろですが、今年は一週間ほど早く満開になりました。
    旅順龍王塘櫻花(08.4.19) 001旅順龍王塘櫻花(08.4.19) 008
    旅順龍王塘櫻花(08.4.19) 020旅順龍王塘櫻花(08.4.19) 030
    旅順龍王塘櫻花(08.4.19) 054
    本当にきれい。
    桜を見たら気分最高!
    やっぱり春は桜やわ~
     
    旅順龍王塘櫻花(08.4.19) 055
    花見客のみなさんは日本と同じく桜の木の下に新聞紙やビニールシートを敷いて、弁当を食べたりビールを飲んだりして大騒ぎ。
    日本の花見と何から何まで全く同じ光景。違うのは花見客が中国語を話していたことだけ。
     
    先ほど満員バスに揺られながら帰還。
    まさかこんなに人が多いとは思わなかった・・・・・・
    April 09

    秦胡亥墓(2004年夏撮影)

    ここに行った人はなかなかいないでしょ?
     
    西安南郊外にひっそりと建っている秦二世皇帝胡亥の墓です。
    父の始皇帝陵とは異なり、かなり小さく、建物もぼろぼろ。訪れる人も少なく、静かなものでした。
    2004年の夏に西安を旅行したときの写真です。
    秦胡亥墓 001秦胡亥墓 003秦胡亥墓 004秦胡亥墓 002秦胡亥墓 005秦胡亥墓 006

     

    February 29

    古観象台(2006年五月 北京)

     古観象台 001古観象台 002古観象台 005古観象台 013
     
    一昨年、北京旅行の際に撮影しました。
    メカニックさと古代中国の雰囲気が融合していて好きですね。
     
    最近デスクトップの壁紙にしています
     
    July 02

    西安から上海まで(三) 車中・杭州・上海

     

    今日は、車中・杭州・上海編をお送りします。13日夜、硬座に飛び乗って、上海までの二泊三日の道のりを旅しました。ちょうど中原を横断する形になります。堅い座席で、二泊はきつかったですね。

    相席の学生は、こちらが日本人だと知ると、日本の戦国武将の話題を持ちかけてきました。彼は織田・豊臣・徳川や武田・上杉は言うに及ばず、毛利の家臣団の「両川」や立花道雪まで知ってました。なんでそんなに詳しいのか聞いてみると、ゲーム「信長の野望」が好きで、それがきっかけで日本の歴史に関心をもつようになったとか。
     そのあと、ちょうど時期的に靖国や戦争の話題になったときも、戦前の軍人や政治家の名前を次々と挙げて、その政策や人となりについて理路整然と論じてました。
    他の相席の人も、あくまで礼儀正しく、根拠を挙げて靖国を批判してきました。

    「あんたらにとっては偉大な先輩だろうけど、我々にとっては侵略者なんですよ。それはわかって下さいね」。

    この言葉が非常に印象に残っています。


     私も、日本史や戦争に関する知識を総動員して、応戦しましたが、彼らの知識の豊富さに圧倒されそうでした。私は「戦争はこっちが悪かったが、そのことで全ての日本人が生まれながらの殺人鬼だとは思わないでくれ」と言いたかったのですが、うまく伝わったかどうか自信がありません。

    あらためて、自分の不勉強さを思い知りました。

     


     
     ただ、こういう議論ならむしろ大歓迎なんですよね。この国では、こういう冷静な議論を仕掛けてくる人は残念ながら少数派ですな。
     そのあとは、ひまわりの種やリンゴを食べながら、まわりのみんなでサッカー談義。アジアカップの総括やジーコ采配の評価で大いに盛り上がりました。

     おかげで床はほとんどゴミ箱をひっくりかえしたような状態(笑)

     そして15日の早朝、やっと上海に。上海に着く前、車窓から見える水田やクリークを見て、江南にやってきたことを実感。

     しかし、上海は遠かった。行けども行けども大平原。「中原に鹿を逐う」と言いますが、こんな広い場所で鹿を逐っていた英雄豪傑のみなさんはさぞかし大変だったろうなと思いました。

     

     

    15日朝7時前に上海駅に到着、その後、あっちこっち歩き回って、杭州行きの長距離バスを探しあてました。

    しかし、これがなかなか出発しない!

    最初は「7時15分発」と言っていたのが、「7時40分発」、最終的に「8時半発」になりました。客のおばちゃんが運転手に文句言ったら、彼が一言「差不多」(そんなに変わらんやん)。私は心の中で「またかいな」とつぶやいていました。

    中国では、この「差不多(cha4buduo1)」がいつでも、どこでも、あらゆる場面で聞けます。

    さて、バスは結局8時15分ごろ出発(お客が一杯になったので)、途中事故渋滞に巻き込まれながら、約3時間で杭州着。安宿にチェックインしたあと、バスで西湖へ。その日は蘇堤や雷峰塔を観光。

    16日は、遊覧船で西湖の色々な場所を見て回りました。どこを見渡しても絵のように美しく、観光客はみな写真を取りまくっていました。望遠レンズつきカメラを携帯している人も目立ちました。

    まさに、蘇軾の詩にある

    水光瀲艷として晴れて方(まさ)に好く山色空濛として雨も亦た奇なり
    西湖を把(と)りて西子に比せんと欲すれば 淡粧濃抹総て相宣し

    の通り。どこを取っても美しい湖でした。

    西湖の遊覧を終えた後、あの岳飛の廟である岳王廟を見に行きました。秦檜(と彼の妻)の像が岳飛の塚の前でひざまずいているのを見て、中国人の「漢奸」へのすさまじい怨念を感じました。

    実は私、女真・満洲族専攻のくせに岳飛の大ファンでして、学生時代には「おのれ秦檜許すまじ!」と言って、宋代史専攻の学生と論争になってたんですが…、この像を見て、さすがに「なにもそこまでしなくても」って思いました。

    (ただ、うちの大学の満洲・モンゴル族の学生に聞いてみると、やっぱり岳飛に対しては複雑な思いを持っているようで…)

     

    その後、西冷印社と浙江省博物館を見学。なんと両館とも無料開放!特に西冷印社は篆刻や書画の名品を数多く展示しており、自然の地形を巧みに利用した庭園も美しかったですね。書道の好きな方にぜひお勧めです。

    17日、バスで再び上海へ。バンド周辺を見て回り、18日午前中、あの東方明珠に登りました(100元)。

    上海の発展ぶりはすごいです。もう神戸・大阪と変わりません。ただ、浦東の建築のセンスは、なんとなく「ブレードランナー」のロサンゼルスを思い起こさせますね…。

    しかし、長居しすぎて午後の飛行機に乗り遅れそうになったので、リニアに乗って空港へ。ただ、リニアは料金片道50元(往復80元)で、空港バスの2,3倍とかなり割高なので席はガラガラでした(実際、大赤字らしい)。

    しかし結局間に合わず、夜の飛行機で瀋陽へ。

    瀋陽空港では、西安から送った荷物を駅に受け取りにいくため、タクシーに乗りましたが、日本語なまりの「普通話」を話したので、少しぼられました。それを教訓に、駅から家に帰るとき、三輪タクシーと瀋陽方言で交渉すると途端に相場より安くなりました。

     

    やっぱり、中国では常にぼられることを警戒しないとだめですな。

     

    (この部分は游戏人生 様の指摘を受け、書き直しました。どうもすみません)

    西安から上海まで(二) 漢中

     

    今回は漢中編をお送りします。

    12日夜、夜行バスで漢中へ。13日早朝到着。
     その後、バスを乗り継いで、勉県の武侯祠と馬超墓、定軍山のふもとの武侯墓を相次いで見学。武侯祠の「芳名碑」(寄付金を出した人の名)は日本人の名前が圧倒的に多かったですね。日本での諸葛亮人気のすごさを今更ながらに思い知らされました。
    建物の配置や内部は、成都の武侯祠とよく似ていました。
     馬超墓は武侯祠の近所ですが、草がぼうぼうで手入れはあまり行き届いていないようでした。
     そのあと、武侯墓へ。
    私、高校時代に『三国志演義』を読んで以来、いつか定軍山の諸葛亮墓に参拝することを夢見ていました。まさに感慨無量!塚の前でしばらく呆然としていました。
     英雄豪傑が覇を競った定軍山も今は静かな農村。見渡す限り緑の山々や、畑が広がっているだけでした。景色を眺めながら一人「夏草や 兵(つはもの)どもが 夢の跡」という句をつぶやいていました。
     なんか、詩人になってしまいました(苦笑)。
    その後、タクシーとバスを乗り継いで漢中市内に戻って、劉邦の居城跡の古漢台や魏延が馬岱に斬られた古虎頭橋を見て回りました。
     古虎頭橋の記念碑は市内の中心の広場に面したショッピングセンターの一階に立っており、隣にはケンタが進出しておりました(笑)ケンタッキー恐るべし!
     記念碑の周りには『三国志 魏延伝』が掲げてあったり、地元の政府の立てた『修虎頭橋碑亭記』がありました。
     特に『修虎頭橋碑亭記』の説明文は魏延に同情的で、要約すれば「諸葛亮は魏延の才能を生かしきれず、楊儀も彼に嫉妬し、それで彼は斬られた」という内容でした。
    漢中の人にとって魏延は郷土の英雄なんでしょうか。
    (最近の中国の学界でも同様の見解が出てきているようですが)
     その後、上海行きの列車に乗り、漢中を離れました。

     なお、その頃、中国女子サッカーがアテネで惨敗しており、ある評論家が新聞紙上で「街亭は失われた、泣いて馬謖を斬れ!(監督の首を切れ)」と叫んでおりました。
     やっぱり、三国志は今も中国人の心の中に生きているんですねえ。

     

     

    April 19

    金州体育場の行きかた

    最近、googleやyahooからうちのブログに「金州体育場」というキーワードで飛んでくる方が多いので、ここで金州体育場の情報を載せておきます。まあ、大部分の方はツアーで来られると思いますが。
     
    アクセス
    列車:大連駅から約40分、30分~1時間に1本。
    金州駅下車後、駅前広場を突っ切って、斯大林(スターリン)路を北西に歩き、左にバスターミナル(第二汽车站,二站)、右前方に建設中の高層ビルを見ながら大きな十字路を渡り、建設中の高層ビルの角を右に曲がればすぐに体育場です。徒歩約5分。
     
    バス:大連駅前(南口、勝利広場橫、101路トロリーバス向かい)から30分に1本、ただし大連・金州発とも最終は17:30ごろ。所要時間1時間弱。
    バスには鈍行と直通があるので注意!絶対7.5元の直通バスに乗ってください。
     
    ※ただ、夜はバスがなくなるので、帰りはタクシーですかね。
    試合のある日は大連市内から臨時バスも出るとのことですが、市内にはあまり行かないので良くわかりません。
     
    直通バスは金州の第一バスターミナル(第一汽车站,一站)に到着します。そこからは西に少し歩いて大きなロータリーを左に曲がり、斯大林(スターリン)路を南に歩いて、建設中のビルの角また一つ手前の角を左に曲がればすぐ。
     
    大連開発区からのバスは第二バスターミナルに着きます。下りてすぐ体育場です。
     
    タクシー:初乗り8元(3㎞)、3㎞以降1.8元/㎞、市内から一時間弱。100元ぐらいかな?
         空港からは3,40分。高速料金込みで6,70元ぐらい
     
     
    ピッチの状態は日本に比べかなり落ちるようです。
    地元紙では「これでガンバの動きが制限されるであろうことが、我らの唯一の希望だ」なんて書いてましたね(笑)
     
    内容に間違いがあればすぐに指摘してください。
     
    当日、チケットが手に入れば絶対見に行くで!
     
     
     
     
     
    April 16

    西安から上海まで(一) 西安

    旅行記(2004年夏)

    (これは、おととし夏の西安と漢中、杭州、上海の旅行記で、「花木蘭」さんの掲示板に掲載したものをここに再録しました。全三回です。)

     まず、西安に一週間ほどいて、その後漢中、杭州、上海と巡ってきました。
    兵馬俑は、修復中の俑が多かったり、2号坑が保護のためほとんど埋め戻されていたりして、半分ぐらいしか見れませんでした。残念!
     あと、日本人とばれて路上の土産物屋にしつこく付きまとわれて、いやな思いをしました。品物を押し付けてきて、買うまで絶対放さない!まるでエージェント・スミスみたいにどんどん包囲してきますな(笑)。最後には、バスに文字通り飛び乗って逃げ帰りましたわ(しかも、値段も5倍ぐらいぼられてた)。
     まあ、有名観光地の宿命なんでしょうがね。物売りと視線を合わせたらもうおしまい(苦笑)
     大雁塔も変に観光開発されていて、隣の公園のスピーカーからうるさい音楽が流れていたり、余計な「復元建築」がたっていたりで、もう幻滅!
     もしこれから西安に行くなら、大雁塔はさっと流して、近くの歴史博物館や碑林をじっくり見学することをお勧めします。
     ただ、その後行った小雁塔は、緑の多い落ち着いた雰囲気で、大いにリラックスできました。午後の3~4時間ぐらいそこでボーっとしてすごしました。
     あと、市内では清真大寺(モスク)が印象的でした。
     中華風の建築ですが、内部はアラブ風。しかも、タイミングよく礼拝の時間 にめぐり合うことができ、大変興味深く見学させていただきました。
     イスラム教徒(回族)は普段は漢語を話し、漢族とほとんど変わらない生活をしていますが、礼拝はやはりきちんとアラビア語ですね。礼拝に集まってきた人たちが互いに「サラーム」と挨拶していたのが耳に残っています。彼らにとってはアラビア語とイスラムが連帯感やアイデンティティの証なんでしょうね。
     西郊外の観光地もよかったですね。乾陵や霍去病墓などもすばらしいですが、特に、五丈原は最高ですな。武侯祠が丘の上に建っていて、そこから古戦場が一望できます。建物も適度に枯れた味わいで、静かな雰囲気の中、じっくり感慨にふけることができます。(その後、漢中が見たくなってしまい、予定変更!)
     それから、南の郊外にある秦の二世皇帝胡亥の墓と後漢の献帝の墓にも行ってきました(一番近いバス停から歩いて一時間弱!)。

     

     ここに行った人はなかなかいないでしょ(^。^)。

     胡亥の墓は建物も塚も草ぼうぼうで痛々しかった!しかもとても小さい!始皇帝陵とは天と地ほどの差がありますね。なんだか中国人の彼に対する評価が判る気がします。
     献帝の墓も畑の中にぽつんと小山があるだけでした。
     やっぱり、影の薄い人だったんでしょうな。
     長くなったので、漢中と杭州はまた次ということで。


     (つづく)
    (写真はフォトアルバムに載せてあります)
    February 01

    哈尔滨 哈爾濱 Харбин(三)

    25日,早上8点半左右退房,就去把行李寄放在火车站的小件寄存处,轻轻松松地去市内观光。

     

    我先去看一看附近的黑龙江博物馆,但还没开放,所以去秋林等附近的俄罗斯建筑逛逛,然后坐公共汽车到文庙(民族博物馆)。

    文庙里,除了我以外,游客几乎都没有。庙里的建筑也都关着,于是我让一位职员一个一个地开门参观。里面陈列黑龙江省少数民族的生活用品,很有意思。特别值得一看的是赫哲族的鱼皮衣服。

     

    职员是很热情的人,给我说明有关文庙的很多事情。看起来,由于他看见游客来,因此很高兴。

     

    25日、朝8時半頃ホテルをチェックアウト。駅の手荷物預かり所に荷物を預け、身軽になってから市内観光に出かける。
     
    まず、近くの黒龍江省博物館に行ってみたが、まだ開館していなかったので、チューリンなど近くのロシア建築をぶらぶらしてからバスに乗って文廟(民族博物館)へ。
     
    文廟は自分以外、観光客がほとんどいなかった。廟内の建物も鍵がかかっており、職員さんにいちいちあけてもらいながら見学。内部は黒龍江の少数民族の生活用品が展示してあり、とても面白かった。特にホジェン(赫哲、ナナイ)族の魚の皮で作った服は見物。
     
    職員さんはとても親切な方で、文廟についていろいろ説明してくださった。観光客が来て大変うれしそうな感じ。

     

    10点左右我又回到省博物馆,先到地下的水族馆(!)参观。亚马逊河的鱼和热带鱼很多。没想到在哈尔滨看那个。

    然后参观二楼的历史陈列。这里的渤海国出土文物的陈列内容特别充实。对东北亚历史感兴趣的人决不要错过。

    看完省博物馆之后,坐公交车道圣苏菲亚教堂。有生以来第一次参观东正教教堂里面,我感激不尽。

    我买明信片和哈尔滨古建筑的摄影作品集(很贵),走到中央大街。我在中央大街逛逛,欣赏俄罗斯建筑的美丽之后,在一家俄罗斯餐厅——名叫“露西亚(日语“俄罗斯”)”——吃午饭。

    餐厅里摆着1920-30年代哈尔滨“白俄”(不愿留在红色祖国,流浪到东北的俄罗斯人)的老照片,内部装饰也很讲究。总有一天,我想在那样的餐厅约会。我点炸包子,菜卷和格瓦斯(俄国传统汽水),虽然价钱很贵,但味道特别好,大饱口福。

     

    10時ごろ、省博物館に戻り,まず地階の水族館(!)を見学。アマゾン川の魚や熱帯魚が多かった。まさかハルビンでこれを見るとは思わなかった・・・・・。

    それから二階の歴史関係の展示を見学。こちらは渤海国の出土品の展示がかなり充実している。東北アジアの歴史に興味のある方はぜひ行ってみるべきだろう。

    省博物館を見学し終わってから、バスに乗りソフィスカヤ寺院へ。初めてロシア正教寺院の内部を見学して感動。

    絵葉書とハルビンの古い建築の写真集(結構高かった)を買い、中央大街(キタイスカヤ)へ。キタイスカヤをぶらぶら散歩しながらロシア建築をじっくり堪能した後、ロシア料理店、その名も「露西亜」で昼食。

     

    店内には、1920~30年代のハルビンの白系ロシア人の写真を展示、内装もかなり凝っている。こういう店でデートしたいものだ。ピロシキとロールキャベツとクワス(ロシア風サイダー)を注文したが、大変美味。値段は結構高かったが大満足。

    吃完了后,走着渡过冰洁的松花江去太阳岛。

    在太阳岛举办“太阳岛雪博会”,展示各种各样的雪雕。俄罗斯建筑,东北的风物,甚至有日本的城堡(据说,哈尔滨市鹤和北海道旭川市共同制作的)

     

    看了一两个小时,我到出口,正出去的时候,听到“冰上芭蕾马上开始”的传播,于是我走到舞台看一看。穿着五光十色衣裳俄罗斯的花样滑冰的选手们演出华丽的技艺。女子的表演漂亮得让我发呆。

     

    但真可惜的是观众特别少,只有几十个人。主持者应该多宣传点,让大家周知。我也差一点错过。

    表演结束,我又渡过松花江回市区。

     

    那一天我十分欣赏俄罗斯文化,俄罗斯万岁!

     

     

    食べ終わった後、凍結した松花江を歩いてわたり、太陽島へ。

    太陽島では「太陽島雪博会」と銘打った雪祭りが開催されており、色々な雪像が展示。ロシア建築、東北の風物、はては日本のお城まであった(旭川市と協力して製作とのこと)。

     

    1,2時間ほど見学して帰ろうとしたとき、出口で突然「まもなく氷上バレエの公演が始まります」というアナウンスを耳にした。それで、氷上バレエの舞台まで行ってみると、ロシアのフィギュアスケーターが色とりどりの衣装に身を包み、華麗な演技を披露。女子の演技ははっとするほど美しかった。

    だが観客が少ないのは本当にもったいない。わずか数十人。主催者はもっと周知宣伝すべきだろう。私も危うく見逃すところだった。

    公演が終わってから、再び松花江を渡って、市街へ。

     

    この日は本当にロシアを堪能できた。ロシア最高!

     

    Ура!

    归途我迷路,但6点左右总算回到火车站前。收回行李,进去候车室。

    坐7点16分开的列车回沈阳。

    夜班零点半左右到沈阳北站,一点左右回到家

     

    途中迷子になりながらもなんとか6時ごろ駅前に到着。手荷物を受け取って、駅の待合室へ。

     

    7時16分の列車に乗り、瀋陽へ。

    夜中12時半ごろ瀋陽北着。1時ごろ帰宅。

     

    January 28

    哈尔滨 哈爾濱 Harbin (二)

    24日,我坐火车去哈尔滨郊区的城市-阿城-,参观金朝上京的遗址和历史博物馆。
     
    早上我到哈尔滨车站,坐开往到牡丹江方向的1451次列车,到车厢里发现我的手套丢了,但列车马上就开,来不及了。
     
    9点10分左右,列车开了。车厢里积满了人,都是春节回老家的人。过了3,40分钟之后,我到了阿城火车站。
     
    出火车站后,先跟公共汽车的售票员打听到历史博物馆怎么走,售票员说“坐这个”。我就坐1路小公共汽车,到了阿城市中心部和平市场。然后在百货大楼对面的公交客运站换乘7路,到了终点“师大”车站,然后顺着公路往南走,走了3,4分钟就到了“金上京历史博物馆”。
     
     
    24日、ハルビン郊外の町阿城に行って、金上京の遺跡を見学してきた。
     
    朝、ハルビン駅で、牡丹江行きの1451列車に乗る。乗ってから手袋をなくしたことに気づくが、まもなく列車は発車。時すでに遅し。
     
    列車は9時10分ごろ発車。車内は春節の帰省客で一杯。3,40分後、阿城駅に到着。
     
    駅を出て、まずバスの車掌に歴史博物館への行き方を聞く。車掌は「これに乗って」といったので、その1路バスに乗って、市内中心部の和平市場へ。そばの百貨大楼の向かいのバスターミナルで7路に乗り換え、終点の「師大」で下車。南へ3,4分歩いて「金上京歴史博物館」に到着。
     
     
     
     
     
    阿城金上京历史博物馆 001
     
     
    博物館正門の左右には完顔阿骨打と完顔宗翰(女真名粘没渇、ネメガ だったかな)の銅像があった。チケットは20元(学生10元)。
    博物馆的门口的左右有完颜阿骨打和完颜宗翰的铜像,门票20元(学生10元)。

    左の写真は阿骨打(アグダ)右は宗翰(女真名粘没渇、ネメガ)
     阿城金上京历史博物馆 002阿城金上京历史博物馆 003
     
     
    建物の入り口の「序幕庁」 正面には、上京で即位した四人の皇帝―太祖阿骨打(アグダ)、太宗呉乞買(ウキマイ)、煕宗合剌(ハラ)、海陵王廸古乃(ディグナ)―の石造りの胸像があった。
    博物馆建筑的门口,“序幕厅”正面是金代在上京登基的四个皇帝-太祖阿骨打,太宗吴乞买,熙宗合剌,海陵王迪古乃-的石雕胸像。

    阿城金上京历史博物馆 004阿城金上京历史博物馆 016
     
    展示室には長さ6m、幅3mの上京のジオラマ、それから当時の生活用品、陶磁器や武器、銅鏡などなどたくさんの文化財が展示されていた。 展示方法も非常に現代的で、理解を助けてくれる。
    (黒龍江省博物館より全然まし)
    陈列厅里展示着长6米,宽3米的金上京沙盘,还有当时的生活用品,陶瓷和武器,铜镜等很多文物。
    陈列设计也现代化的,能够帮助观众的理解。
    (我觉得和黑龙江省博物馆比起来好得多!)
     
     

    上京ジオラマ、右は皇宮部分を拡大撮影

    阿城金上京历史博物馆 018阿城金上京历史博物馆 019
     
     
    象棋のこまと銅鏡、生活用品等々
     
     阿城金上京历史博物馆 009阿城金上京历史博物馆 010阿城金上京历史博物馆 014阿城金上京历史博物馆 020阿城金上京历史博物馆 022阿城金上京历史博物馆 028阿城金上京历史博物馆 032阿城金上京历史博物馆 025
     
    一時間ほど見学したあと、近くの阿骨打陵まで歩く。観光客は自分以外には誰もいなかった。
    我参观了一个小时左右,然后又走去附近的阿骨打陵。除了我以外,一个游客都没有。
     
    阿骨打陵
    阿城阿骨打陵 001阿城阿骨打陵 002阿城阿骨打陵 003阿城阿骨打陵 004
     
     
     
    看完了以后,走上去旁边的上京城墙,站在城墙的顶上,我发呆着看望风景。周围是白皑皑的雪原,我无法用语言表现那风景的美丽。
    見終わってから、近くの金の上京の城壁跡に登る。城壁の長城に登って、景色を眺めてしばらくぼーっとしていた。
    周囲は真っ白な雪原、言葉では表現できない美しさ!
     

    城壁跡から皇宮跡方向(南東)を望む

    阿城金上京会宁府遗址 011
     
    城壁跡
    阿城金上京会宁府遗址 004阿城金上京会宁府遗址 006
     
     
     
     
    城壁を降りてから、金上京会寧府跡に向け歩くが、皇宮跡の入り口に来てみると、門は閉ざされていた。時期はずれだったようだ。
    我从城墙下去,就走去金上京会宁府遗址。走到皇宫遗址的门口,但门口关着,好像来得不是时候。
     
    皇宮の門                                          ジオラマで同じ方向から眺めてみました(上京ジオラマより)
    阿城金上京会宁府遗址 008阿城金上京历史博物馆 019
     
    皇宮跡
    阿城金上京会宁府遗址 002阿城金上京会宁府遗址 007阿城金上京会宁府遗址 009阿城金上京会宁府遗址 010
     
     
    でも、皇宮跡からは上京を取り囲む長い城壁を望むことが出来、とてもうれしかった。保存状態もいい。
    但从皇宫看得到围绕上京的很长很长的城墙,我很高兴。保存的比较好。

    宮城跡から南を望む(長い堤防のようなものが城壁跡)

    阿城金上京会宁府遗址 001
     
    一時間ほど見たら、寒くてたまらなくなりバス停まで歩く。ちょうどいいときにバスがやってきた。助かった!
     
    2時半ごろ、阿城の中心部に戻り、遅い昼食をとる。それから百貨大楼をぶらぶらして、手袋を買う。
     
     
     
    4時ごろ、2路バスに乗り、阿城駅に戻る。5時15分の列車に乗り、6時半ごろハルビン駅にもどった。
     
    夜は兆麟公演で氷灯(氷の彫刻)を見た。
     
    看了1个小时,外面冷得受不了(零下20度左右吧),我到汽车站走着去,汽车来的正好!我特别高兴,“我得救了”。
     
    两点半左右,我回到阿城中心部,先吃完一点的“午饭”,然后去百货大楼逛一逛,买手套。
     
    4点左右坐2路公交车回到火车站,5点一刻坐火车,6点半左右到哈尔滨站(慢车!)
     
    晚上去看兆麟公园的冰灯。
     
    (写真はフォトアルバムに載せてあります)
    (照片在幻灯上载) 




    January 26

    哈尔滨 哈爾濱(ハルビン) Харбин (一)

    1月23日,我去这十二年没去的哈尔滨。
     
    早上9点半,我到沈阳北站的客运站(虎跃快客),坐了开往到哈尔滨的长途汽车。
    在汽车里播放着美国电影《我,机器人》(I robot)。
     
    4点左右,我终于到了哈尔滨火车站,和十二年以前完全不一样,仰望着在站前广场的四周林立的高楼大厦,94年住过的一家饭店―以前在火车站周边最高的建筑物―,看起来个子已经缩矮了。
     
    到一家饭店订房、买完25日回沈阳的火车票以后,我就打的去冰雪大世界看冰灯,门票是110元!但我出示学生证,买了半价票。我虽然已经结束了留学生活,但学生证的有效期还没到(2月底)。嘿嘿(^_^.)
     
    在冰雪大世界展示着很多俄罗斯风情的冰灯,有教堂,赫尔米达什宫殿和克里姆林宫的钟楼,冰灯军舰,俄罗斯文学中的登场人物等等。据说今年是“中国俄罗斯年”,冰雕里嵌着的五光十色的灯光在黑暗中闪烁,神秘莫测,壮观非凡。 
     
    我看一,两个小时,冷得受不了,进入一家咖啡屋点一杯咖啡。点了以后,我问“多少钱?”,女服务员说“30块”,我吓得一下子忘了寒冷!
     
    然后我又打的回到中央大街,但司机故意绕路!现在还有这样的司机,以后要注意啊。
     
    我逛一逛中央大街,9点左右回到饭店。
     
    (待读)
     
     
     
    1月23日、12年ぶりにハルビンに行ってきた。
     
    朝9時半、瀋陽北駅の長距離バスターミナル(虎躍快客)で、ハルビン行きのバスに乗る。
    バスの中ではアメリカ映画『アイ ロボット』を放映していた。
     
    4時ごろ、ついにハルビン駅に到着。 12年前とは全く違う(当たり前だ)、駅前に林立するビル群を見上げると、94年に泊まったホテル―当時駅前で一番高い建物だった―がかなり縮んで見えた。
     
    ホテルにチェックインし、駅で25日の帰りの切符を買った後、タクシーで「氷雪大世界」へ。 
    チケットは110元!だが学生証を出し、半額切符を購入。もう留学生活は終わっているのだが、学生証の有効期限はまだあるのだよ(2月末)。ふふふふ。(^_^.)
     
    氷雪大世界ではロシア風の氷灯(氷の彫刻)がたくさん展示してあった。教会、エルミタージュ宮殿やクレムリンの塔、氷の軍艦、ロシア文学の登場人物などなど。なんでも今年は「中国ロシア年」とのこと。
     
    氷の彫刻の中には色とりどりの照明が埋め込まれており、暗闇の中で幻想的に、神秘的に輝いていた。
    一、二時間見た後、寒くてたまらないので会場内のコーヒーハウスに入って、コーヒーを注文。注文した後値段を聞くと、ウェイトレスが「30元」と答えた。寒さも吹っ飛ぶ驚き!
     
    それから再びタクシーで中央大街(キタイスカヤ)に戻る(運転手め、わざと遠回りしやがった。まだあんな運転手がおるんか。以後気をつけよう)
     
    中央大街をぶらぶらしたあと、9時ごろホテルに戻った。
     
    (つづく)