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電羊齋は涙を信じない 電羊齋不相信眼淚Talkiyan Honin Jai yasa i muke be akdarakū |
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鏡像博客(预备博客,现在停止更新)
日本のみなさん
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November 11 11月11日 星期三 阴 生日November 09 11月8日 星期日 今天也翻译今天也在家里做笔译。 总算翻译完了。截稿在后天傍晚,明天要仔细修改后再交。 傍晚有周五投简历的翻译公司回复,有业务就联系。
晚上听单口相声。
今日も翻訳。 翻訳は大体終了。納期はあさってなので明日じっくり推敲してから提出。 夕方に金曜日に履歴書を出した翻訳会社からご返事をいただいた。仕事があれば連絡するとのこと。
夜は落語を聞く。 November 08 11月7日 星期六 阴转小雨 翻译今天一直窝在家里做笔译工作,只翻译了一半。 不知道为什么,今天工作提不起精神。 明天再做吧!
今日は一日中家にこもって翻訳したが、半分ぐらいまでしか翻訳できなかった。 今日はなぜか仕事に身が入らなかった。 また明日やろう。 November 07 11月6日 星期五 晴 嫁さんの誕生日今天是农历九月二十日,老婆的生日。
早上九点左右起床,因为很累,不知不觉地睡着了。 上午做中文简历,下午一点半左右发给另一个翻译公司。 那家公司是中国的翻译公司,因为中译日的笔译工作多,所以应聘。
3点左右,每个星期给我发送原稿的翻译公司给我发来新的原稿,截稿期是下周二。 翻译到5点左右,然后把北京游记第一部分上载到博客上。然后再修改一下。
8点左右,跟老婆一起吃饭祝贺生日。 今天老婆做饭做得非常好,真好吃!
今日は陰暦(農暦)9月20日、嫁さんの誕生日。 (中国では誕生日は陰暦で祝うことが多い)
朝9時頃起床。疲れが出てつい朝寝。 午前中、中国語の履歴書を作り、昼過ぎに昨日とは別の翻訳会社に提出。 中国の翻訳会社なので、中文和訳の仕事が多いかと思い申し込んでみた。
3時頃、毎週原稿を頂いている翻訳会社から原稿到着。納期は火曜日まで。 5時頃まで少し翻訳したあと、北京の旅行記第一弾をブログにアップ。その後少し修正。
8時に、嫁さんと一緒に誕生日を祝った。 今日は嫁さんの料理がホンマにうまい! November 06 八旗吉祥物八旗兵携帯ストラップ(鑲白旗) 11月2日 故宮養心殿前売店にて購入 15元 故宮で八旗マスコットを発見! その名も「八旗娃娃」(八旗人形)。ロゴをよく見ると右下に英語で“EIGHT BANNERS”と書いてある。「八旗娃娃」のキャラクターは八旗にあわせてちゃんと八種類あり、店内には「八旗娃娃」の携帯ストラップ、起き上がりこぼし、ペンケース、鉛筆、ノート、冷蔵庫用マグネットなどなど、いろんな商品が置いてあった。 大学院時代、修士論文で八旗の火器営(鉄砲隊・砲兵隊)を扱ったことがあるので、火縄銃を持っている鑲白旗の携帯ストラップを購入。 しかしまあ、まさか八旗がこういうカワイイ系のマスコットになる日が来るとは思わなかった……
メーカーはこちら 北京尚潮创意纪念品开发有限公司 http://shop36830724.taobao.com/ 北京遊記之一 ―北京城東南角城壁―10月31日から11月2日まで、翻訳会社のレクチャー参加と友人に会うために北京に行ってきました。 まずは10月30日~10月31日の出来事から。 ………………………………………………………………………………………………………………………………………… 10月30日~10月31日 10月30日夜、家からタクシーで大連駅へ。発車までまだ一時間半もあったので、駅前の勝利広場の吉野家で牛丼セット(牛丼並+茶碗蒸+キムチ 18元)を食べて腹ごしらえ。 食べ終わった後、大連駅の候車室(待合室)へ移動し、9時ごろに北京行きK681次列車の硬臥(B寝台)に乗車。内部は片側が寝台、片側が通路となっている。私の乗った車輌は背広を着たビジネスマンが多かった。やっぱり普段乗ってる硬座(二等車)とは客層が全然違う。 取引先の日本人からもらったらしい名刺を眺めているビジネスマンもいた。 列車は9時半に定刻通り出発、私のベッドは3段ベッドの中段で上下空間がかなり狭いので、窓際の補助椅子(上段、中段ベッドの乗客用)に座って本を読んだ。倉沢進・李国慶著『北京ー皇城の歴史と空間ー』(中公新書 2007)、北京の都市史と社会史を扱った本。
10時ごろに中段ベッドに寝転がり、10時半の消灯まで引き続き読書。 最近生活が夜型なので、寝台車で眠れるかどうか心配だったが、気がついたら寝ていた。
翌朝6時半、車内放送と革命歌曲「歌唱祖国」(オリンピックの開会式で女の子が口パクで歌った)の勇ましいメロディでたたき起こされた。いつの時代や?朝から革命歌曲かいな?
朝食に、勝利広場のコンビニで買っておいたパンを食べる。それからレクチャー参加のため、背広に着替えた。 私のそばでは背広を着たビジネスマン二人がクリアファイルに綴じた資料を読みながらあれこれ議論していた。プレゼンの資料だろうか。 列車は朝8時40分ごろ北京駅に到着。向かいにCRH和谐号(中国版新幹線)が停車していた。本当に新幹線そっくりだった。
レクチャーは午後なので、午前中は北京駅の近くの城壁跡公園を見学することにして、改札口付近の預かり所にバッグを預けた(20元)。預かり代20元とは、さすが北京。大連なら10元ぐらいだろう。 身軽になったところで、北京駅の大時計の鐘が聞こえてきた。もう9時か。 メロディはなんと「東方紅」。ずいぶんひさしぶりに聞いた。中国は建前上はまだ毛沢東主義らしい。 駅前広場にはカバン代わりに荷物を詰め込んだ肥料袋を担いだ出稼ぎ農民らしき集団がたくさんいた。
そのまま歩いて北京駅の近くの城壁跡公園、北京明城牆遺址公園へ。 明城牆遺址公園は北京の内城城壁(位置は地下鉄2号線の路線とほぼ同じ)の東南角にあたる。北京は明代以降高い城壁に囲まれてきたが、1960年代までにほとんどが撤去され、現在残存しているのは内城の東南角(北京駅付近)と西南角のみとなっている。前夜に『北京』で、城壁保存を訴えた梁思成のエピソードを読んだところだったので、感慨もひとしお。 11時ごろまで城壁を見た後、北京駅前に戻り、少し早めに昼食 昼食後預かり所でバッグを受け取り、午後のレクチャーへ。
北京明城牆遺址公園入口(北京站東街、建国門内大街十字路) 内城東南角 角楼(東南方向から撮影) 角楼内部 内部には各城門の模型や当時の武器などを展示 城壁が鉄道で寸断 火車券洞 民国時代、1915年に京師環城鉄路(正陽門(前門)―東直門―西直門)が敷設された際に城壁に開けられた鉄道用出入口。京師環城鉄路は戦後廃線、この火車券洞は現存する唯一の遺構。 1916年当時の路線図 京师街道并环城铁路图 - 交通 - 京城舆图 - 北京记忆首页 火車券洞内側 東南角楼から北京駅を望む。 左は火車券洞、環状鉄道は現在の線路が走っている場所を横切る形で走っていた。画面奥に見えるのが北京駅。 京奉鉄路信号所 北京と奉天(現瀋陽)を結ぶ京奉鉄路は、正陽門(前門)を起点とし、内城城壁の南を通過していた。1959年、現在の北京駅建設と正陽門駅廃止により当区間の線路を撤去。 京奉鉄路については、こちらのサイトがよくまとまっている。 京奉鉄路のレールと説明 崇文門付近の切れ目。内側の版築構造と外側の煉瓦の組み合わせ方がよくわかる。 煉瓦層の厚みは約1.5~2mぐらい 11月5日 星期四 晴 やっと休める!北京では翻訳会社のレクチャーと夜の食事会で、翻訳会社の方々や多くの翻訳者と交流することができ、大いに刺激を受けた。それに翻訳会社の方や翻訳者の方も、翻訳では私と同じような悩みを抱えていることを知ったことも大きかった。 北京で吸収した色々なエッセンスを今後どう生かしていくかが課題となるだろう。
また、レクチャーの席上で大連の翻訳会社の方にお会いした際に、その方の会社への翻訳者登録を薦められ、ちょうど翻訳会社を新規開拓しようと考えていたところなので、喜んで承諾。
北京ではその他、明城壁跡や前門、天安門、故宮を観光したり、友人のAmin Aguと一緒に北京西北の火器営の満洲族の文化センター(満族文化站)を訪ねたりした。これらについては旅行記として別にブログに載せるつもり。
3日朝に大連に戻り、休む間もなく大連の翻訳会社に提出する履歴書・職務経歴書・翻訳サンプル・翻訳実績一覧を作成。昨日登録に行くつもりだったが、3日夕方に別の翻訳会社から急ぎの翻訳案件が入ったので、今日に延期。 昨日は丸一日家で翻訳。字数は少なかったが、初めて翻訳する内容だったので予想以上に時間がかかってしまった。
今日午前翻訳会社に登録に赴き、履歴書・職務経歴書・翻訳サンプル・翻訳実績一覧を提出し、会社所定の登録票に記入。登録手続き終了後、大連駅前で昼食をとり帰宅。
午後は北京のレクチャーで頂いた名刺やメールアドレスの情報をOutlookで整理。 夕方から夜にかけて、北京で撮ったデジカメ写真をPCで分類整理。
October 30 ジオンの魂「ザクだけでは売れなくて…」中国のマニアが開いた元ザク専門店に潜入。http://www.narinari.com/Nd/20091012519.html
まさか中国にもザクマニアがいるとは! 俺もザクは好き。ガンダムのようなヒーローとは違って、現実的というか、親しみやすい気がする。 ただ、中国のガンダムファンはSEEDから入った人が多いんで、ファーストガンダム、しかもザク専門ではさすがに厳しいか。
深圳に行く機会があったら、ぜひ行って見たい。 深圳にいる方々にはぜひ売上げに貢献していただきたい。 10月29日 星期四 晴转多云 进京 gemun hoton de dosimbi 上京明天晚上坐火车去北京。 先去翻译公司,然后去看见朋友。 11月3日回来大连。
明日夜列車で北京に行ってきます。 まず翻訳会社に行って、それから友人に会ってきます。 11月3日に大連に戻ります。 October 29 トゥリシェンはマンモスの肉を食べたか?
さて、この間ロシア関係のことを調べたついでに、満洲旗人トゥリシェン Tulišen(図理琛)のロシア旅行記『異域録』を読んだ。 トゥリシェンは康熙五十一年(1712)ヴォルガ河流域で遊牧するトルグート部(現在のカルムイク共和国)への使節団に参加。当時は最短ルートである天山北路(ジュンガリア・現新疆ウイグル自治区北部)が清と敵対するジューンガル部に領有されていたため、迂回ルートのシベリアを経由して、五十三年(1714)にトルグート部のアユキ=ハーンと会見し、五十四年に北京に帰還している。彼は通過したシベリア各地の地理・風俗・政治等につき満洲語・漢語による詳細な報告を行い、雍正元年(1723)に『異域録』として出版、18世紀シベリアの貴重な記録となっている。 そこで面白い記述を発見。場所はエニセイスク。以下は満文本からの日本語訳。
マムントワはロシア語でマンモスを意味するマモント Мамонт。当時のシベリアではマンモスは太古の生物ではなく、地底で生活する巨大な動物で、地上に出ると死ぬと信じられていた。これはシベリアで時折発見されるマンモスの化石や生前の姿を保ったままの氷漬けマンモスを見た現地人が、マンモスを地中に生きる現生動物と信じたことによるものらしい。マンモス・マモントという名称もシベリア諸民族の言葉mamut(地下に生活する者)が語源。 なお、乾隆『大清一統志』巻四百二十三俄羅斯(ロシア)の条でも、シベリアのヤクートに生息する現生動物として「麻門橐漥(マモントワ)」が紹介されている。内容は『異域録』の引用箇所とほぼ同じ。
「骨は白くてすべすべし、柔らかで象牙に似ている。……ロシア人はこの骨を手に入れると、碗、皿、くしなどを作って使っている」とあるが、シベリアでは実際にマンモスの化石が工芸品の製造に用いられ、最近では象牙の代用品として輸出もされているという。「いつも河岸の土中から発見される」についても、マンモスの化石は実際に河岸で発見されることが多い。
さて、気になる記述がこれ。
おお、当時のシベリア人とトゥリシェンはマンモスの肉を食べたのか?『はじめ人間ギャートルズ』!と思って、訳本の注を見てみると
とある。『神異経』の該当箇所に当たってみると、
とあり、トゥリシェンはシベリアでマンモスの話を聞き、『神異経』の記述にある「磎鼠」とみなし、肉に関する記述をそのまま引き写したらしい。なお、『神異経』の「磎鼠」については、実際にシベリアのマンモスの化石や氷漬けマンモスの話が中国に伝わったものとする見方がある(南方熊楠「マンモスに関する旧説」)。 したがって、『異域録』の記述からだけではトゥリシェンやシベリア人がマンモス肉を食べたかについてはよくわからないが、可能性はあるかもしれない。 氷漬けマンモスの場合腐敗はしていないだろうから、『神異経』の通りに乾肉にして食べたら問題ないかもしれない(?!)
と書いて記事をアップしようと思ったら、まさかこんなものが発売されてるとは!最近日本を開けてたんで知りませんでした。 東ハト「マンモスの肉!?・シベリアの塩味」・「マンモスの肉!?・焼肉のタレ味」 http://tohato.jp/news/news.php?data_number=536
東ハトのスナックにも「肉の性質は寒で、これを食べると、高熱や内臓が焼けついて苦しいのを抑えることができる」効果や熱を下げる効果があるんでしょうか? …… 参考文献・サイト 『異域録―清朝使節のロシア旅行報告―』トゥリシェン 今西春秋訳注 羽田明編訳 平凡社東洋文庫445 平凡社 1985 『神異経』(四庫全書本)『欽定四庫全書』上海古籍出版社 1987 『大清一統志』(四庫全書本)『欽定四庫全書』上海古籍出版社 1987 南方熊楠「マンモスに関する旧説」(電子テキスト:鬼火/やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇 http://homepage2.nifty.com/onibi/man.html 2009.10.15アクセス)(底本「南方熊楠選集 第五巻 続々南方随筆」平凡社 1985) 10月28日 星期三 晴转多云 忙中有闲 忙中閑有り昨天把全部原稿翻译完了! 今天睡到中午,从昨晚夜半开始一共睡了12个小时。 突然感到很累!
下午吃老婆做的拿手菜,然后上网,看书。 晚上也没做什么事情,发着呆消磨时间。
最近我家蟑螂越来越多,因此我去青泥洼桥的麦凯乐购买安速蟑螂屋和硼酸团子(毒饵)。 虽然比中国厂家的贵一些,但效果非同一般。看看蟑螂屋里面,已经被抓很多蟑螂。
昨日全ての原稿を翻訳終了。 今日は昼まで寝た。昨日の夜中から計12時間睡眠。 疲れがどっと出た!
午後は嫁さんの手料理を食べたり、ネットや読書。 夜も特に何をするでもなく、ボーっとして過ごした。
最近家でゴキブリが増えてきたので、青泥窪橋(大連駅前)のマイカルでアースのゴキブリホイホイとホウ酸団子を購入。 中国メーカーに比べると値段は高いが、効果は抜群。ホイホイ内部を見るとゴキブリがかなり捕まっている。 ゴキブリホイホイ三枚入り、日本のゴキブリホイホイと全く同じで、説明も日本語。 蟑螂屋3枚,跟日本蟑螂屋一模一样,里面的说明也是日文。 ホウ酸団子とゴキブリホイホイ 安速蟑螂屋和硼酸团子(毒饵) October 24 10月23日 星期五 晴 忙死了!めっちゃ忙しい!昨天接连收到两份翻译委托书,加上两份译稿的交稿期都是今天中午12点,因此我只好开夜车。 先熬夜把第一份原稿翻译,到早上8点半才发到翻译公司。 然后开始把第二份原稿翻译到中午,好不容易来得及交稿 把译稿附在电子邮件,点击“送信”按钮,但因为容量太大,发不了信。 (最近附件容量超过1MB时,发信常常停止。看来我的Outlook和Kaspersky的共犯) 试了3,4次都发不了,最后登陆Hotmail网页才能发到翻译公司。
吃了午饭后,睡到傍晚。 5点半左右起来,查一查电子邮箱后吃晚饭。 剩下的工作还有下周一要交的译稿一份,加上今天中午发过来的下周二要交译稿的原稿,可是我真的累了,干脆睡觉!
昨日立て続けに二本の原稿が入り、しかも両方とも納期が今日正午だったもんで、徹夜する羽目に。 一本目の原稿を夜通しで翻訳し、朝8時半にようやく送信。 続いて二本目の原稿の翻訳を開始、ぎりぎり正午に終了。 メールに添付して送信ボタンをクリックしたが、容量がデカくて送信できない。 (最近添付ファイルが1MBを超えるとよく送信がストップする。どうもうちのOutlookとカスペルスキーの共犯らしい。) 3,4回試してだめだったので、Hotmailのページを立ち上げて送信。
昼食後、夕方まで寝る。 5時半ごろ起きて、メールチェックをしたあと夕食。 月曜日納期の原稿が一本、そして今日昼前に来た火曜日納期の原稿があるが、今日はめちゃくちゃしんどいので思い切って寝る! October 20 10月20日 星期二 晴 原稿发出去了今天傍晚六点把稿子终于发到翻译公司了! 我终于解放了! 然后去附近的拉面店吃大肉面,在付钱的时候一个服务员开玩笑说“给我日元吧”、我就说“已经都换成人民币了”。 上次从日本回到大连的时候,剩下的日元都换成人民币。
回家后,上网浏览日本国内新闻和niconico动画,然后找找北京的饭店,因为月末我要去北京参加翻译公司的会议。 我打算先买火车票后再预订房间。
今日の夜6時、ついに原稿を翻訳会社に発送! ついに解放! それから付近のラーメン屋で豚肉ラーメンを食う。金を払う時、店員が冗談で「日本円くれ」と言ったので、すぐに「全部人民元に替えたで」と言ってやった。 日本から大連に戻った時、使い残した日本円は全部人民元に替えたしね。
帰宅後、ネットで日本国内のニュースとニコニコ動画を閲覧。それから北京のホテルを探す。月末に翻訳会社の会議で北京に行く。 まず列車の切符を買ってから部屋を予約するつもり。 10月19日 星期一 晴 突然忙起来!从上周三开始突然变得忙起来,特别是从上周六到今天,我一直窝在家里翻译稿子,到今天早上才完成。 昨晚没时间睡,只是把稿子发到翻译公司之后,睡了一会。 下午又来了新的稿子,到今晚为止翻译到一半。 没有工作的时候,一个字的翻译工作都没有,但一开始忙起来,连睡觉时间都没有,真是“废寝忘食”地工作。
先週水曜日から突然忙しくなった。特に金曜日から今日までは、家にこもりきりで原稿を翻訳していた。今朝やっと完成。 昨日の晩は寝る時間がなかったので、原稿を送ったあと、少し寝た。 午後また新しい原稿が来た。夜までに半分ほど翻訳。 仕事がない時は全く仕事がないが、一旦忙しくなると寝る時間もない。まさに「寝食を忘れて」働くはめになる。 October 12 ある満洲貴族のロシア観ひまな時に清代の筆記(随筆)『嘯亭雑録』をめくっていたら、ロシアについての項目が見つかった。著者の礼親王昭槤(しょうれん)(1776~1829)は、ヌルハチの次子礼親王ダイシャン(代善)の末裔で文才があった。 この項目からは、18世紀後半から19世紀にかけての満洲人のロシア観がよくわかる。 ちなみに中国語ではロシアは俄羅斯(オロス)と呼ばれる。
まず、ハルハとはモンゴル高原で最大勢力を誇る部族であり、ウリャスタイとはモンゴル西部の一都市で、清代にはモンゴル高原とアルタイ山脈方面を管轄するウリャスタイ将軍(烏里雅蘇台将軍)が置かれ、当時はモンゴル高原を指す地理的名称としても使われていた。 次に、東では黒龍江、西ではアンディジャン(安集延)・コーカンド(敖罕)に接しているとしている。アンディジャン・コーカンドは現在の中央アジアのウズベキスタン東部で、当時はコーカンド=ハーン国の支配下にあった。コーカンド=ハーン国は現ウズベキスタン領のコーカンドを都とし、現在のウズベク・キルギス・タジクとカザフの一部を支配するトルキスタン南部の強国であった。清朝のジューンガル部・東トルキスタン征服(1755~1759)により、清朝と直接接触することになったコーカンド=ハーン国は清朝に朝貢、以後清朝・ロシア・カザフ・インドの十字路上に位置する地の利を生かし、中継貿易による繁栄を迎えることとなった。 清にとって、アンディジャン・コーカンドは清朝の勢力圏の最西端という認識だったようで、以後紆余曲折を経ながら、19世紀中ごろまで朝貢・通商関係が続いた。 つまり、ロシアが、北のモンゴル、東の黒龍江、そして西のアンディジャン・コーカンドと、清朝の勢力圏の北・東・西の三方に接していることを例にして、ロシアの国土の広大さを強調している。
「肌が色黒で目が落ちくぼんでおり」だが、原文は「黑皙窅目」で、やや色黒の小麦色の肌と目がくぼんだ彫りの深い顔を指すようだ。清朝と境を接するシベリアや中央アジア方面のロシア人は現地人と通婚・混血しており、肌の色などの形質が現地人に近いものもいることからきた記述だろうか。 「衣服・食物・言語・文字はみな西洋に近く、モンゴルの部族の習俗とはかけ離れている」とあるが、興味深いのはあくまで「西洋に近い」のであって、「西洋」ではないとみなしていること。本文中では「洋」・「西洋」はロシアとは異なるものとして用いられている。これは、後述のモンゴル的歴史観と関連している。 「文官はみな西洋人を任ずる(其文官皆洋中人為之)」というのは、当時ロシア宮廷に多く仕えていたドイツ系貴族を指していると思われる。 「チャガン=ハーン(察罕汗)」とは、モンゴル語で「白いハーン」を意味する言葉で、ロシア皇帝(ツァーリ)を指し、19世紀以前の清朝でもその呼び名をそのまま使っていた。これは、ロシア帝国の源流であるモスクワ大公国が元来ジョチ=ウルス(キプチャク=ハーン国)の属国であり、モンゴル人からはジョチ=ウルスの継承国家とみなされていたことによる。本文でも、モンゴル貴族であるサガン=セチェン著の『蒙古源流』を引用する形で、ロシアの始祖はジョチであるとしている。 こうした認識は当時広く共有されていたようで、道光十二年(1832)に北京を訪れた朝鮮使節の金景善も、俄羅斯館(ロシア人滞在施設)を訪れたのち、ロシア人のことを「蒙古の別種なり」と記している。「別種」とは同じ起源から分化した民族・種族をいう(『燕轅直指』巻三「鄂羅斯館記」、蔡鴻生『俄羅斯館紀事』所収)。 しかも、そもそもオロス(俄羅斯)という名称自体、ロシア語の「Русь ルーシ(ロシアの古称)」や「Россия ラシーヤ(ロシア)」が、モンゴル語の「オロス Oros」に変化し、その後満洲語、漢語に入ったものだ。 当時の満洲人・清朝人のロシア理解は、やはりモンゴルの影響が濃かったようだ。 「女が国主の位を伝えてすでに七代となる。男が生まれれば異姓の人とみなし、女が生まれて初めて国の跡継ぎとする」というのは、18世紀のロシアに女帝が多かったことからくる誤解だろう。確かに、エカチェリーナ1世以降女帝が非常に短い間隔で頻繁に即位しているので、ユーラシア大陸の東の果てにいた昭槤がそうした誤解をしてしまうのも無理はない。
全体的に見て事実と誤解が入り混じっている感じだが、当時の満洲人のロシア理解を知ることができ面白い 。 …… (参考文献) 『嘯亭雑録』清代史料筆記 中華書局 1980→1997再版 蔡鴻生『俄羅斯館紀事(増訂本)』中外交流歴史文叢 中華書局 2006佐口透『ロシアとアジア草原』ユーラシア文化史叢書 吉川弘文館 1966 竺沙雅章監修・間野英二編『アジアの歴史と文化8 中央アジア史』同朋舎発行 角川書店発売 1999 宮脇淳子『最後の遊牧帝国―ジューンガル部の興亡―』講談社選書メチエ41 1995 October 10 滑稽節中国のネットの某所で見つけたジョーク。
「紅旗」は中国のVIP用の黒塗りの高級車。画像はこちら(中国新聞網)。
「公共の場所で大騒ぎ」のほかの画像はこちら。 中国、建国60周年 北京で祝賀式典 写真19枚 国際ニュース : AFPBB News江戸弁チャイニーズ
「てやんでえ!」 だれや?このタイトルつけた奴は? 中国人はいつから江戸っ子になったんやろね?
今日、オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞したというニュースを見た。 まだそれほど実績を挙げていないと思うのだが。
それはそうと、もうすぐオバマ大統領がアジア諸国を歴訪するらしい。 当然中国にも来るわけだが、最近の中国では「オバマブーム」が急速に冷めつつある。
理由は最近の貿易摩擦とチベット、ウイグル問題だ。
貿易摩擦で米中両国の報復合戦が起こりつつあるし、『環球時報』の記事へのコメントを見てもわかるように、アメリカがダライ・ラマやラビア・カーディルに肩入れしているのが中国人にとって非常に腹立たしいというのは事実だ。 まあ、最も『環球時報』は対外強硬論で有名で、日本で言うネトウヨ御用達なので、多少割り引いた方がいいかも知れないが。 October 09 ハイ、ソウデスネ!今日、サーチナで面白い記事を見つけた。【中国ブログ】日本人すると疲れる?「いつもうなづいてばかり」 2009/10/05(月) 11:30:15 [サーチナ]中国語ブログ元記事 日本人的婉转和文明_褚娟_新浪博客
この記事にもあるとおり、私も含めて日本人は日常会話の中で頻繁にうなずいたり、「そうですね」、「そうなんですか?」という言葉を頻繁に使う。確かに「数秒に1回」の頻度だ。中国人同士の会話の場合、うなづきよりもむしろ手や指など頭部以外の身体言語を使う傾向が強いし、「そうですね」、「そうなんですか」の使用頻度も日本人ほどではない。
ちなみに私が以前仕事をしていた日系企業につとめる中国人の間でも「ソウデスネ」は有名だった。ある同僚に至っては日本語は全く話せなかったが、ただ一言「ソウデスネ」だけは知っていた。ふざけて日本人の上司のマネをするとき、会話の合間に「ソウデスネ!」をはさんだりしていた。
日本人のうなづきや「そうですね」は中国人にとってやはり奇異に映るらしい。 October 08 中国とアフリカ そして ウイグル今日は国慶節休暇最終日。 相変わらず家でのんびりネットをしていると、以下の記事が目に留まった。
中国は最近アフリカ諸国へ盛んに経済進出しているが、それにともない現地との摩擦も増えている。 詳しくは上の二つの記事を読んでいただくとして、私が興味を持ったのは、中国が現地に単純労働者まで送り込んでいるということだ。 欧米諸国や日本企業の海外進出の場合は、母国からは幹部クラスや工場・設備の立ち上げに必要な技術者のみを派遣し、単純労働者は現地で雇用するという方式がほとんどだが、中国の場合は単純労働者まで一緒に送り込み、現地労働者はさほど雇用しない。
つまり、中国は、企業だけでなく、国内の余剰労働力のはけ口として単純労働者まで一緒にアフリカへと送り込み、何もかも中国人だけでやってしまうので、現地の雇用創出にはさほど貢献しない。 そして現地にはお金を落とさず、原料や資源だけを吸い取る結果となってしまう。さらには、中国人と現地人のトラブル(暴力沙汰など)もあいまって、中国人への強い反発を呼び、中国人を狙った犯罪やテロが頻発している。
さて、こうした図式は新疆ウイグル自治区における漢人とウイグル人の図式と似通っている。 「西部大開発」のスローガンの下、中国内地から資金が大量に投下され、企業も大挙進出しているが、企業が中国内地から大量にやってきた漢人出稼ぎ労働者ばかり雇用するため、漢人のみが恩恵を受けて現地にお金が落ちず、現地ウイグル人は不公平感を募らせている。
その理由は、中国内地からの進出企業が、言語、文化や慣習の違いもあってウイグル人を雇いたがらず、気心の知れた漢人労働者に頼ってしまう傾向が強いためだ。そうした状況は以下の記事に詳しい。
2005年に現地を旅行した時も、ウルムチはじめ都市部では漢人出稼ぎ労働者と漢人商人のほうが目についた。新疆ウイグル自治区もアフリカと同じく、中国の余剰労働力のはけ口となっているのだ。 その一方で、石油をはじめとする資源は東部沿岸部の工業地帯へと次々と輸送され、現地へは利益がさほど還元されていない。 7月のウルムチ騒乱の背景にもそうした状況に対するウイグル人の根強い反発があった。きっかけとなった広東の玩具工場でのウイグル人殺傷事件の被害者が、雇用対策としてはるばる広東に集団就職させられたウイグル人だったことは象徴的だ。
このように、アフリカと新疆ウイグル自治区における状況は奇妙な相似形を描いている。
アフリカ、そしてウイグルという中国の内なる異国。 中国人(漢人)は今まさに他民族との付き合い方を問い直されている。 21世紀が「中国の世紀」となるかどうかは、この問いにうまく答えられるかどうかにかかっている。 October 05 10月5日 星期一 晴 看书 読書这国庆节的长假,我一直在家里过着。 九月份刚刚交了房租,手头很紧,加上游地哪儿都挤满了人,哪儿都不想去。 在长假期间没有笔译工作,我又调整翻译软件里的词典,又看喜欢的历史书。 从上周末到今天,我看了佐口透『ロシアとアジア草原(俄罗斯与亚洲草原)』(吉川弘文館 1966)、三宅理一『ヌルハチの都―満洲遺産のなりたちと変遷―(努尔哈赤之都―满洲文化遗产的成立与变迁―)』(ランダムハウス講談社 2009)。明天打算再看几篇清史论文。
国慶節の連休だが、ずっと家で過ごしている。 九月に家賃を払い終えたところでお金がないし、行楽地はどこも込んでいるので、どこにも行く気がしない。 連休中は翻訳仕事もないので、翻訳ソフトの辞書をいじったり、好きな歴史の本を読んだりしてすごしている。
先週末から今日にかけ、佐口透『ロシアとアジア草原』(吉川弘文館 1966)、三宅理一『ヌルハチの都―満洲遺産のなりたちと変遷―』(ランダムハウス講談社 2009)を読んだ。明日は清朝史関連の論文を何本か読もう。 |
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