電羊齋 的个人资料電羊齋は涙を信じない 電羊齋不相信眼淚照片日志列表 工具 帮助

電羊齋は涙を信じない 電羊齋不相信眼淚

Talkiyan Honin Jai yasa i muke be akdarakū

電羊齋

职业
地点
兴趣
電羊斎です。

「ほんまにもう、かなんなあ」
「ぼちぼちやね」
「咋整?咣咣地!能行不?真是的!」

Counter(06.8.7~)

鏡像博客(预备博客,现在停止更新)
日本のみなさん
第 1 张,共 72 张
11月25日

11月24日 星期二 多云 一人ブラック企業

 

先週金曜日から今日の朝八時まで、ずっと家にこもって翻訳。

原稿は二部あり、どちらも今日が締め切り。しかも字数が多くて時間的にもかなりきつい。

毎日少なくとも15、6時間はPCに向かって仕事。

特に昨日23日朝から今朝までは一睡もできず、今朝8時ごろようやく原稿提出。

 

なんというか、一人ブラック企業。まあ先週軽いノリで仕事を引き受けた俺の自業自得なんやけどね。

9時ごろ翻訳会社から原稿受取の連絡を受けた後、寝室へ直行!

 

午後二時半ごろ起床。

夕方までは近所をぶらぶら散歩したり、自分のPC内のファイルやフォルダの整理整頓を実行。仕事でPCを使っていると、ファイルやフォルダの分類がごちゃごちゃしてくる。

 

嫁さんと一緒に夕食を食べながら衛星放送でNHKニュースを見ていたら、仕分け人の蓮舫が出てきた。

夕食後は、ひさしぶりに宮崎市定全集第14巻の『雍正帝』を読み、さらに「雍正硃批諭旨解題」を途中まで読んだ。ひさしぶりに読むといろいろな発見があって面白い。

11月20日

北京游記之三 ―夜の前門・天安門―

11月2日夕方。

瑠璃廠をぶらぶらした後、鉄樹斜街を抜けて大柵欄まで歩く。

もう日が暮れているのに、狭い道を無灯火の自転車がビュンビュン走ってくるんで、発見が遅れて何度も接触しそうになった。

大柵欄の商店街は観光客でにぎわっていた。

CIMG0107 CIMG0110

続いて、最近民国時代風にリニューアルされた前門大街へ。

前門大街(北方向)

前門大街(南方向)

前門大街001

前門大街002

正陽門箭楼

牌楼

模造路面電車

なんというか、民国時代風テーマパークといった感じ(日本で言えば大正~昭和20年代)。

路面電車もあったが、大連で本物を見慣れているので、あまり面白みはなかった。

旧正陽門駅

旧正陽門駅

現在の北京駅ができるまでは、ここが北京のターミナル駅だった。

正陽門(前門)

正陽門(前門)

 

次に、夜の天安門へ。

広場は夜間立入禁止となっており、広場出入り口には警官が立っていた。

夜の毛主席紀念堂

夜の毛主席紀念堂

広場入口には武装警察が立哨。

民族団結柱

民族団結柱 国慶節にあたって立てられた柱、各民族の絵が描かれている。

夜の天安門

ライトアップされた天安門。

天安門と衛兵

天安門と衛兵

天安門中央を背に不動の姿勢で立っている。気勢が充実している。訓練の賜物。

私が撮影を終えた直後に次の衛兵と交代。私が撮影を終えるのを待ってくれていたようだ。

衛兵さん、本当にありがとうございました!

 

卫兵在我拍了之后接班,他可能在等我拍完。

卫兵同志,太谢谢了!

あなた愛してる

「あなた、愛してる」

北京飯店前 雪の上に書かれた文字。

 

王府井まで歩いて、マクドで夕食を取ったあと、タクシーでホテルに帰ろうとしたが、近距離なのに30元とか抜かしやがる。

結局地下鉄で帰った。

11月18日

北京游記之二 ―大雪、火器営―

10月31日~11月1日

城壁を見終わってから、崇文門のホテルで翻訳会社のレクチャー・会議に参加。

普段メールや電話でしかコミュニケーションが取れないので、直接顔を合わせることができる貴重な機会。

会議後、近くのレストランで食事。

8時半ごろ解散し、タクシーで宿泊予定のホテル付近まで送ってもらった。

 

ホテルは大柵欄と瑠璃廠付近の路地にある遠東飯店、バックパッカー御用達のホテル。宿泊客は欧米人が多い。

部屋は地下一階のドミトリー(4人部屋)、わりと清潔。一泊45元。バックパッカー時代を思い出す。部屋にはなぜかコンセントがない。勝手に電化製品を使うなということだろうか。携帯の電池が切れかかっていたので、フロントに預けて充電しておいてもらうことにした。

自分の部屋には幸い誰も泊まっていなかったので、ベッドに寝転がって本を読む。

12時ごろようやく眠たくなってきたので寝た。

 

11月1日朝、フロントに携帯電話を取りにいったとき、外を見るとなんと大雪!

朝、ヨーロッパ人らしい人が私の泊まっている部屋に入ってきた。

本人は「ユーゴスラビア人」と言っていた。日本語と中国語が少しできる人で、話を聞いているとアジアの旅行経験が豊富なようで、日本にも行ったことがあるらしい。ユーゴスラビアの方と少し話した後、満洲族の友人のAmin aguとの待ち合わせ場所である西直門駅に向かうべく、まず和平門駅まで歩く。

雪化粧した瑠璃廠もなかなか風情があっていい。

雪の北京 雪化粧した瑠璃廠

和平門から地下鉄2号線に乗り、西直門に到着。ホームでAminと落ち合った。

約一年半ぶりの再会。

 

Aminは北京市西城区の文化委員会(日本の教育委員会にあたる)で文化財保護の仕事をしている。

Aminからは西城区文化委員会編の『西城区各級文物保護名録』をプレゼントされた。内容は西城区の文化財・建築の写真と現況の説明。感謝感激!

地下鉄で近況や清朝史の話題についていろいろ話し合った。

地下鉄を2回乗り換えて、10号線の終点の巴溝に到着。地上に出ると相変わらず雪が降り続いていた。

バスに乗り、今回の目的地火器営へと向かう。

火器営とは清朝の八旗の鉄砲隊・砲兵隊で、現在も子孫の満洲族が集住している。

(以前書いた記事 火器営-清朝の諸兵科連合部隊-

約9年ぶりの再訪。

バスを降りると、高層アパートと既に取り壊された営房跡地が見えた。

火器営跡地

標識

高層アパート

2000年3月に訪問した頃はまだ営房がかなり残存しており、八旗方位に基づいた地割も維持されていたが、今はほとんど全て撤去され、高層アパートとなっていた。

Google Earthで事前に確認はしていたものの、実際に現地に立ってみると、やはり寂しさがこみ上げてくる。

 

2人で2000年に訪問した「満族文化站」を探し回った。

いろいろな人に聞いて回るがなかなか見つからず、ちょうど昼飯時になったので、付近の中華風ファーストフードで食事。

私が冗談で「なんで八旗方位に基づいた区画にせえへんねん?ワシは八旗方位やったらわかるのになあ」と言ったら、Aminも笑っていた。

食事後、しばらく探し回ってようやく発見。

満族文化站001

満族文化站002

日本の団地の公民館、コミュニティセンターのような場所の一角。

内部も日本の公民館というか自治会のような雰囲気。日曜日だったので、中は係のおばさん一人だけだった。

Aminが私が2000年に火器営を訪問したことがあること、私の修士論文の題材が火器営だったことを紹介すると、おばさんはとても喜んでいた。

中の図書室のような場所はいろいろ飾り付けられていた。先日話をお聞きしたところ、建国60周年の民族団結記念パーティを開催したところだという。他にも火器営の満洲族と北京の満洲族有志で色々な文化イベントを行っているらしい。

以前の火器営の営房に住んでいた人たちは高層アパートに移ったという。

いろいろお話をお聞きした後、連絡先とメールアドレスを書いた紙を渡して辞去。

 

火器営の修士論文は手元にあるが、今読むと文章が滅茶苦茶だし、しかも10年前に書いたものなので最近の研究成果が反映されておらず、大幅に書き直す必要がある。

とりあえず暇を見て少しずつ改訂し、来年以降ブログに連載していきたいと思っている。

 

その後、バスを乗り継いでAminの通う中央民族大学へ。

キャンパスを散歩しながらAminと満洲族の話題や歴史の話題についていろいろ話した後、キャンパス内の書店へ。

さすが中央民族大学の書店、小さいながらも各民族の重要な文献が満遍なくそろっている。文献についてAminと侃侃諤諤やりながら、本を一冊一冊選び、最終的に満洲・シベ族関連の本4冊とコーカンド=ハン国関連の研究書、北京の文化に関する本を購入。Aminの学生用割引カードを利用させてもらったおかげで2割引で買えた。

『五体清文鑑』の影印本も置いてあったが、値段も高いし、かさばるので今回は購入を見送った。

書店のウイグル語コーナーではウイグル族らしい学生が腰掛に座って座り読みをしていた。

 

本を買ったのち、バスで西直門駅に戻り、Aminと別れた。

今回はAminと会えたおかげで本当に楽しかった。

 

地下鉄でいったん和平門に戻り、さらに歩いてホテルに戻る。

雪はほぼ止んでいた。

 

ホテルでしばらく休んだ後、6時ごろまで瑠璃廠の本屋街をぶらぶら。

ただ今回は古本はこれといった本が見つからなかったし、欲しいと思った新本もAmazonで買える本ばかりだったので、わざわざ荷物を増やすこともあるまいと思って、結局一冊も買わなかった。




11月11日

11月11日 星期三 阴 生日

今天迎接了我的第36次生日。

虽然活到36岁,但我还没觉得自己成长。

孔老夫子说过“三十而立”,但我还没“而立”,常常给父母,老婆和朋友们添麻烦。

 

迎接下一次生日的时候,我会怎样呢?

 

今日、36回目の誕生日を迎えた。

36歳まで生きてはきたものの、自分自身成長したという感じはしない。

孔子さまは「三十にして立つ」と言ったが、自分はまだ「而立」できていない。いつも両親や嫁さん、友人たちに迷惑ばかりかけている。

 

次の誕生日を迎える時はどうなっているやら?

 

中国で売ってるプリッツ

中国のプリッツ。グリコは「格里高」と書きます。

今日はポッキー&プリッツの日。

11月9日

11月8日 星期日 今天也翻译

今天也在家里做笔译。

总算翻译完了。截稿在后天傍晚,明天要仔细修改后再交。

傍晚有周五投简历的翻译公司回复,有业务就联系。

 

晚上听单口相声。

 

今日も翻訳。

翻訳は大体終了。納期はあさってなので明日じっくり推敲してから提出。

夕方に金曜日に履歴書を出した翻訳会社からご返事をいただいた。仕事があれば連絡するとのこと。

 

夜は落語を聞く。

11月8日

11月7日 星期六 阴转小雨 翻译

今天一直窝在家里做笔译工作,只翻译了一半。

不知道为什么,今天工作提不起精神。

明天再做吧!

 

今日は一日中家にこもって翻訳したが、半分ぐらいまでしか翻訳できなかった。

今日はなぜか仕事に身が入らなかった。

また明日やろう。

11月7日

11月6日 星期五 晴 嫁さんの誕生日

今天是农历九月二十日,老婆的生日。

 

早上九点左右起床,因为很累,不知不觉地睡着了。

上午做中文简历,下午一点半左右发给另一个翻译公司。

那家公司是中国的翻译公司,因为中译日的笔译工作多,所以应聘。

 

3点左右,每个星期给我发送原稿的翻译公司给我发来新的原稿,截稿期是下周二。

翻译到5点左右,然后把北京游记第一部分上载到博客上。然后再修改一下。

 

8点左右,跟老婆一起吃饭生日

今天老婆做饭做得非常好,真好吃!

 

今日は陰暦(農暦)9月20日、嫁さんの誕生日。

(中国では誕生日は陰暦で祝うことが多い)

 

朝9時頃起床。疲れが出てつい朝寝。

午前中、中国語の履歴書を作り、昼過ぎに昨日とは別の翻訳会社に提出。

中国の翻訳会社なので、中文和訳の仕事が多いかと思い申し込んでみた。

 

3時頃、毎週原稿を頂いている翻訳会社から原稿到着。納期は火曜日まで。

5時頃まで少し翻訳したあと、北京の旅行記第一弾をブログにアップ。その後少し修正。

 

8時に、嫁さんと一緒に誕生日を祝った。

今日は嫁さんの料理がホンマにうまい!

11月6日

八旗吉祥物


八旗兵携帯ストラップ(鑲白旗)

11月2日 故宮養心殿前売店にて購入 15元

 

故宮で八旗マスコットを発見!

その名も「八旗娃娃」(八旗人形)。ロゴをよく見ると右下に英語で“EIGHT BANNERS”と書いてある。「八旗娃娃」のキャラクターは八旗にあわせてちゃんと八種類あり、店内には「八旗娃娃」の携帯ストラップ、起き上がりこぼし、ペンケース、鉛筆、ノート、冷蔵庫用マグネットなどなど、いろんな商品が置いてあった。

大学院時代、修士論文で八旗の火器営(鉄砲隊・砲兵隊)を扱ったことがあるので、火縄銃を持っている鑲白旗の携帯ストラップを購入。

しかしまあ、まさか八旗がこういうカワイイ系のマスコットになる日が来るとは思わなかった……

 

メーカーはこちら

北京尚潮创意纪念品开发有限公司 

http://shop36830724.taobao.com/



北京遊記之一 ―北京城東南角城壁―

10月31日から11月2日まで、翻訳会社のレクチャー参加と友人に会うために北京に行ってきました。

まずは10月30日~10月31日の出来事から。

…………………………………………………………………………………………………………………………………………

10月30日~10月31日

10月30日夜、家からタクシーで大連駅へ。発車までまだ一時間半もあったので、駅前の勝利広場の吉野家で牛丼セット(牛丼並+茶碗蒸+キムチ 18元)を食べて腹ごしらえ。

食べ終わった後、大連駅の候車室(待合室)へ移動し、9時ごろに北京行きK681次列車の硬臥(B寝台)に乗車。内部は片側が寝台、片側が通路となっている。私の乗った車輌は背広を着たビジネスマンが多かった。やっぱり普段乗ってる硬座(二等車)とは客層が全然違う。

取引先の日本人からもらったらしい名刺を眺めているビジネスマンもいた。

列車は9時半に定刻通り出発、私のベッドは3段ベッドの中段で上下空間がかなり狭いので、窓際の補助椅子(上段、中段ベッドの乗客用)に座って本を読んだ。倉沢進・李国慶著『北京ー皇城の歴史と空間ー』(中公新書 2007)、北京の都市史と社会史を扱った本。

 

10時ごろに中段ベッドに寝転がり、10時半の消灯まで引き続き読書。

最近生活が夜型なので、寝台車で眠れるかどうか心配だったが、気がついたら寝ていた。

 

翌朝6時半、車内放送と革命歌曲「歌唱祖国」(オリンピックの開会式で女の子が口パクで歌った)の勇ましいメロディでたたき起こされた。いつの時代や?朝から革命歌曲かいな?

 

朝食に、勝利広場のコンビニで買っておいたパンを食べる。それからレクチャー参加のため、背広に着替えた。

私のそばでは背広を着たビジネスマン二人がクリアファイルに綴じた資料を読みながらあれこれ議論していた。プレゼンの資料だろうか。

列車は朝8時40分ごろ北京駅に到着。向かいにCRH和谐号(中国版新幹線)が停車していた。本当に新幹線そっくりだった。

 

レクチャーは午後なので、午前中は北京駅の近くの城壁跡公園を見学することにして、改札口付近の預かり所にバッグを預けた(20元)。預かり代20元とは、さすが北京。大連なら10元ぐらいだろう。

身軽になったところで、北京駅の大時計の鐘が聞こえてきた。もう9時か。

メロディはなんと「東方紅」。ずいぶんひさしぶりに聞いた。中国は建前上はまだ毛沢東主義らしい。

駅前広場にはカバン代わりに荷物を詰め込んだ肥料袋を担いだ出稼ぎ農民らしき集団がたくさんいた。

 

そのまま歩いて北京駅の近くの城壁跡公園、北京明城牆遺址公園へ。

明城牆遺址公園は北京の内城城壁(位置は地下鉄2号線の路線とほぼ同じ)の東南角にあたる。北京は明代以降高い城壁に囲まれてきたが、1960年代までにほとんどが撤去され、現在残存しているのは内城の東南角(北京駅付近)と西南角のみとなっている。前夜に『北京』で、城壁保存を訴えた梁思成のエピソードを読んだところだったので、感慨もひとしお。

11時ごろまで城壁を見た後、北京駅前に戻り、少し早めに昼食

昼食後預かり所でバッグを受け取り、午後のレクチャーへ。

 

明城牆遺址公園入口(北京站東街) 公園紹介

北京明城牆遺址公園入口(北京站東街、建国門内大街十字路)

建国門内大街付近

東南角楼

内城東南角 角楼(東南方向から撮影)

 角楼内部001 角楼内部002

角楼内部

城門模型 三眼銃

内部には各城門の模型や当時の武器などを展示

城壁断面

城壁が鉄道で寸断

火車券洞外側

火車券洞

民国時代、1915年に京師環城鉄路(正陽門(前門)―東直門―西直門)が敷設された際に城壁に開けられた鉄道用出入口。京師環城鉄路は戦後廃線、この火車券洞は現存する唯一の遺構。

1916年当時の路線図 京师街道并环城铁路图 - 交通 - 京城舆图 - 北京记忆首页

CIMG0028

火車券洞内側

火車券洞説明 

東南角楼から北京駅を望む

東南角楼から北京駅を望む。

左は火車券洞、環状鉄道は現在の線路が走っている場所を横切る形で走っていた。画面奥に見えるのが北京駅。

信号所跡

京奉鉄路信号所

北京と奉天(現瀋陽)を結ぶ京奉鉄路は、正陽門(前門)を起点とし、内城城壁の南を通過していた。1959年、現在の北京駅建設と正陽門駅廃止により当区間の線路を撤去。

京奉鉄路については、こちらのサイトがよくまとまっている。

百年の鉄道旅行 京奉鉄路

CIMG0078 CIMG0080

京奉鉄路のレールと説明

城壁001

城壁002

墩台

崇文門付近

崇文門付近

崇文門付近の切れ目。内側の版築構造と外側の煉瓦の組み合わせ方がよくわかる。

崇文門付近の切れ目

煉瓦層の厚みは約1.5~2mぐらい


11月5日 星期四 晴 やっと休める!

北京では翻訳会社のレクチャーと夜の食事会で、翻訳会社の方々や多くの翻訳者と交流することができ、大いに刺激を受けた。それに翻訳会社の方や翻訳者の方も、翻訳では私と同じような悩みを抱えていることを知ったことも大きかった。

北京で吸収した色々なエッセンスを今後どう生かしていくかが課題となるだろう。

 

また、レクチャーの席上で大連の翻訳会社の方にお会いした際に、その方の会社への翻訳者登録を薦められ、ちょうど翻訳会社を新規開拓しようと考えていたところなので、喜んで承諾。

 

北京ではその他、明城壁跡や前門、天安門、故宮を観光したり、友人のAmin Aguと一緒に北京西北の火器営の満洲族の文化センター(満族文化站)を訪ねたりした。これらについては旅行記として別にブログに載せるつもり。

 

3日朝に大連に戻り、休む間もなく大連の翻訳会社に提出する履歴書・職務経歴書・翻訳サンプル・翻訳実績一覧を作成。昨日登録に行くつもりだったが、3日夕方に別の翻訳会社から急ぎの翻訳案件が入ったので、今日に延期。

昨日は丸一日家で翻訳。字数は少なかったが、初めて翻訳する内容だったので予想以上に時間がかかってしまった。

 

今日午前翻訳会社に登録に赴き、履歴書・職務経歴書・翻訳サンプル・翻訳実績一覧を提出し、会社所定の登録票に記入。登録手続き終了後、大連駅前で昼食をとり帰宅。

 

午後は北京のレクチャーで頂いた名刺やメールアドレスの情報をOutlookで整理。

夕方から夜にかけて、北京で撮ったデジカメ写真をPCで分類整理。

 

10月30日

ジオンの魂


「ザクだけでは売れなくて…」中国のマニアが開いた元ザク専門店に潜入。

http://www.narinari.com/Nd/20091012519.html

 

まさか中国にもザクマニアがいるとは!

俺もザクは好き。ガンダムのようなヒーローとは違って、現実的というか、親しみやすい気がする。

ただ、中国のガンダムファンはSEEDから入った人が多いんで、ファーストガンダム、しかもザク専門ではさすがに厳しいか。

 

深圳に行く機会があったら、ぜひ行って見たい。

深圳にいる方々にはぜひ売上げに貢献していただきたい。



10月29日 星期四 晴转多云 进京 gemun hoton de dosimbi 上京

明天晚上坐火车去北京。

先去翻译公司,然后去看见朋友。

11月3日回来大连。

 

明日夜列車で北京に行ってきます。

まず翻訳会社に行って、それから友人に会ってきます。

11月3日に大連に戻ります。

10月29日

トゥリシェンはマンモスの肉を食べたか?

 

さて、この間ロシア関係のことを調べたついでに、満洲旗人トゥリシェン Tulišen(図理琛)のロシア旅行記『異域録』を読んだ。

トゥリシェンは康熙五十一年(1712)ヴォルガ河流域で遊牧するトルグート部(現在のカルムイク共和国)への使節団に参加。当時は最短ルートである天山北路(ジュンガリア・現新疆ウイグル自治区北部)が清と敵対するジューンガル部に領有されていたため、迂回ルートのシベリアを経由して、五十三年(1714)にトルグート部のアユキ=ハーンと会見し、五十四年に北京に帰還している。彼は通過したシベリア各地の地理・風俗・政治等につき満洲語・漢語による詳細な報告を行い、雍正元年(1723)に『異域録』として出版、18世紀シベリアの貴重な記録となっている。

そこで面白い記述を発見。場所はエニセイスク。以下は満文本からの日本語訳。 

北方のこの地ははなはだ寒冷である。地中を動き回る獣がいる。それは陽の気にあたるとたちまち死んでしまう。体は大きくて一万斤以上もあろう。骨は白くてすべすべし、柔らかで象牙に似ている。あまり折れも傷つきもしないで、いつも河岸の土中から発見される。ロシア人はこの骨を手に入れると、碗、皿、くしなどを作って使っている。肉の性質は寒で、これを食べると、高熱や内臓が焼けついて苦しいのを抑えることができる。『大蔵経』には、この動物の名をマムントワと記し、漢名は「磎鼠(けいそ)」という。

( )内管理人ルビ

(『異域録』上巻 エニセイスク町 『異域録―清朝使節のロシア旅行報告―』pp57~58)

 

マムントワはロシア語でマンモスを意味するマモント Мамонт。当時のシベリアではマンモスは太古の生物ではなく、地底で生活する巨大な動物で、地上に出ると死ぬと信じられていた。これはシベリアで時折発見されるマンモスの化石や生前の姿を保ったままの氷漬けマンモスを見た現地人が、マンモスを地中に生きる現生動物と信じたことによるものらしい。マンモス・マモントという名称もシベリア諸民族の言葉mamut(地下に生活する者)が語源。

なお、乾隆『大清一統志』巻四百二十三俄羅斯(ロシア)の条でも、シベリアのヤクートに生息する現生動物として「麻門橐漥(マモントワ)」が紹介されている。内容は『異域録』の引用箇所とほぼ同じ。

 

「骨は白くてすべすべし、柔らかで象牙に似ている。……ロシア人はこの骨を手に入れると、碗、皿、くしなどを作って使っている」とあるが、シベリアでは実際にマンモスの化石が工芸品の製造に用いられ、最近では象牙の代用品として輸出もされているという。「いつも河岸の土中から発見される」についても、マンモスの化石は実際に河岸で発見されることが多い。

 

さて、気になる記述がこれ

「肉の性質は寒で、これを食べると、高熱や内臓が焼けついて苦しいのを抑えることができる」

 

おお、当時のシベリア人とトゥリシェンはマンモスの肉を食べたのか?『はじめ人間ギャートルズ』!と思って、訳本の注を見てみると 

マムントワ 言うまでもなくマンモスのことである。〔シベリア諸民族の言葉mamut(地下に生活する者)が語源。ロシア語はmamontで、「マムントワ」とはそれによったもの。トゥリシェンは『大蔵経』に見えると言うが、『大蔵経』にはない。「磎鼠」は『神異経』の中に見え、「肉の性質は……できる」までは、その記事に従ったものである。関徳棟「略論図理琛『異域録』満文本対漢文本脱錯的訂補及其他」(『文物資料叢刊』五、一九八一)参照。〕

とある。『神異経』の該当箇所に当たってみると、

北方層冰萬里,厚百丈,有磎鼠在冰下、土中焉。形如鼠,食草木。肉重千斤,可以作脯,食之已熱。其毛八尺,可以為褥,臥之卻寒。其皮可以蒙鼓,聞千里。其毛可以來鼠,此尾所在鼠聚。

 

北方は氷の層が万里にわたって続き、厚さは百丈にもなる。磎鼠というものがいて、氷の下や地中に住んでいる。その形はネズミのようで、草や木を食べる。肉の重さは千斤にもなり、乾し肉とすることができ、これを食べれば体の熱を下げることができる。その体毛は八尺で、布団にすることができ、この上で寝れば寒さを防ぐことが出来る。その皮を太鼓に張れば、音色は千里のかなたまで聞こえる。その毛はネズミを招き寄せることができ、この尾の在る所にネズミが集まる。

とあり、トゥリシェンはシベリアでマンモスの話を聞き、『神異経』の記述にある「磎鼠」とみなし、肉に関する記述をそのまま引き写したらしい。なお、『神異経』の「磎鼠」については、実際にシベリアのマンモスの化石や氷漬けマンモスの話が中国に伝わったものとする見方がある(南方熊楠「マンモスに関する旧説」)。

したがって、『異域録』の記述からだけではトゥリシェンやシベリア人がマンモス肉を食べたかについてはよくわからないが、可能性はあるかもしれない。

氷漬けマンモスの場合腐敗はしていないだろうから、『神異経』の通りに乾肉にして食べたら問題ないかもしれない(?!)

 

と書いて記事をアップしようと思ったら、まさかこんなものが発売されてるとは!最近日本を開けてたんで知りませんでした。

東ハト「マンモスの肉!?・シベリアの塩味」・「マンモスの肉!?・焼肉のタレ味」

http://tohato.jp/news/news.php?data_number=536

 

東ハトのスナックにも「肉の性質は寒で、これを食べると、高熱や内臓が焼けついて苦しいのを抑えることができる」効果や熱を下げる効果があるんでしょうか?

……

参考文献・サイト

『異域録―清朝使節のロシア旅行報告―』トゥリシェン 今西春秋訳注 羽田明編訳 平凡社東洋文庫445 平凡社 1985

『神異経』(四庫全書本)『欽定四庫全書』上海古籍出版社 1987

『大清一統志』(四庫全書本)『欽定四庫全書』上海古籍出版社 1987

南方熊楠「マンモスに関する旧説」(電子テキスト:鬼火/やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇 http://homepage2.nifty.com/onibi/man.html 2009.10.15アクセス)(底本「南方熊楠選集 第五巻 続々南方随筆」平凡社 1985)

10月28日 星期三 晴转多云 忙中有闲 忙中閑有り

昨天把全部原稿翻译完了!

今天睡到中午,从昨晚夜半开始一共睡了12个小时。

突然感到很累!

 

下午吃老婆做的拿手菜,然后上网,看书。

晚上也没做什么事情,发着呆消磨时间。

 

最近我家蟑螂越来越多,因此我去青泥洼桥的麦凯乐购买安速蟑螂屋和硼酸团子(毒饵)。

虽然比中国厂家的贵一些,但效果非同一般。看看蟑螂屋里面,已经被抓很多蟑螂。

 

昨日全ての原稿を翻訳終了。

今日は昼まで寝た。昨日の夜中から計12時間睡眠。

疲れがどっと出た!

 

午後は嫁さんの手料理を食べたり、ネットや読書。

夜も特に何をするでもなく、ボーっとして過ごした。

 

最近家でゴキブリが増えてきたので、青泥窪橋(大連駅前)のマイカルでアースのゴキブリホイホイとホウ酸団子を購入。

中国メーカーに比べると値段は高いが、効果は抜群。ホイホイ内部を見るとゴキブリがかなり捕まっている。

ホイホイ

ゴキブリホイホイ三枚入り、日本のゴキブリホイホイと全く同じで、説明も日本語。

蟑螂屋3枚,跟日本蟑螂屋一模一样,里面的说明也是日文。

CIMG0437ホウ酸団子 

ホウ酸団子とゴキブリホイホイ

安速蟑螂屋和硼酸团子(毒饵)

10月24日

10月23日 星期五 晴 忙死了!めっちゃ忙しい!

昨天接连收到两份翻译委托书,加上两份译稿的交稿期都是今天中午12点,因此我只好开夜车。

先熬夜把第一份原稿翻译,到早上8点半才发到翻译公司。

然后开始把第二份原稿翻译到中午,好不容易来得及交稿

把译稿附在电子邮件,点击“送信”按钮,但因为容量太大,发不了信。

(最近附件容量超过1MB时,发信常常停止。看来我的Outlook和Kaspersky的共犯)

试了3,4次都发不了,最后登陆Hotmail网页才能发到翻译公司。

 

吃了午饭后,睡到傍晚。

5点半左右起来,查一查电子邮箱后吃晚饭。

剩下的工作还有下周一要交的译稿一份,加上今天中午发过来的下周二要交译稿的原稿,可是我真的累了,干脆睡觉!

 

昨日立て続けに二本の原稿が入り、しかも両方とも納期が今日正午だったもんで、徹夜する羽目に。

一本目の原稿を夜通しで翻訳し、朝8時半にようやく送信。

続いて二本目の原稿の翻訳を開始、ぎりぎり正午に終了。

メールに添付して送信ボタンをクリックしたが、容量がデカくて送信できない。

(最近添付ファイルが1MBを超えるとよく送信がストップする。どうもうちのOutlookとカスペルスキーの共犯らしい。)

3,4回試してだめだったので、Hotmailのページを立ち上げて送信。

 

昼食後、夕方まで寝る。

5時半ごろ起きて、メールチェックをしたあと夕食。

月曜日納期の原稿が一本、そして今日昼前に来た火曜日納期の原稿があるが、今日はめちゃくちゃしんどいので思い切って寝る!

10月20日

10月20日 星期二 晴 原稿发出去了

今天傍晚六点把稿子终于发到翻译公司了!

我终于解放了!

然后去附近的拉面店吃大肉面,在付钱的时候一个服务员开玩笑说“给我日元吧”、我就说“已经都换成人民币了”。

上次从日本回到大连的时候,剩下的日元都换成人民币。

 

回家后,上网浏览日本国内新闻和niconico动画,然后找找北京的饭店,因为月末我要去北京参加翻译公司的会议。

我打算先买火车票后再预订房间。

 

今日の夜6時、ついに原稿を翻訳会社に発送!

ついに解放!

それから付近のラーメン屋で豚肉ラーメンを食う。金を払う時、店員が冗談で「日本円くれ」と言ったので、すぐに「全部人民元に替えたで」と言ってやった。

日本から大連に戻った時、使い残した日本円は全部人民元に替えたしね。

 

帰宅後、ネットで日本国内のニュースとニコニコ動画を閲覧。それから北京のホテルを探す。月末に翻訳会社の会議で北京に行く。

まず列車の切符を買ってから部屋を予約するつもり。

10月19日 星期一 晴 突然忙起来!

从上周三开始突然变得忙起来,特别是从上周六到今天,我一直窝在家里翻译稿子,到今天早上才完成。

昨晚没时间睡,只是把稿子发到翻译公司之后,睡了一会。

下午又来了新的稿子,到今晚为止翻译到一半。

没有工作的时候,一个字的翻译工作都没有,但一开始忙起来,连睡觉时间都没有,真是“废寝忘食”地工作。

 

先週水曜日から突然忙しくなった。特に金曜日から今日までは、家にこもりきりで原稿を翻訳していた。今朝やっと完成。

昨日の晩は寝る時間がなかったので、原稿を送ったあと、少し寝た。

午後また新しい原稿が来た。夜までに半分ほど翻訳。

仕事がない時は全く仕事がないが、一旦忙しくなると寝る時間もない。まさに「寝食を忘れて」働くはめになる。

10月12日

ある満洲貴族のロシア観

ひまな時に清代の筆記(随筆)『嘯亭雑録』をめくっていたら、ロシアについての項目が見つかった。著者の礼親王昭槤(しょうれん)(1776~1829)は、ヌルハチの次子礼親王ダイシャン(代善)の末裔で文才があった。

この項目からは、18世紀後半から19世紀にかけての満洲人のロシア観がよくわかる。

ちなみに中国語ではロシアは俄羅斯(オロス)と呼ばれる。

 

俄羅斯
俄羅斯國在喀爾喀、烏里雅蘇台之極北,東西袤長數萬里。東接黑龍江,西連安集延、敖罕諸部落。其人黑皙窅目,衣服、食物、語言、文字皆近西洋,與蒙古部落習俗懸絕。其文官皆洋中人為之,武官始參用本國人。其主名察罕汗,女傳已七世,生男則為異姓人,生女始為國種。又蒙古源流云:「元太祖之長子分封絕域,來往數萬里[註:事見元史],即為俄羅斯之始祖」云。然則彼國亦元裔也,其世系莫可考矣。

『嘯亭雜錄』卷八(評点本、中華書局 1980→1997再刊)

 

(日本語訳)

オロス(ロシア)
オロス国はハルハ(喀爾喀)、ウリャスタイ(烏里雅蘇台)の極北にあり、東西の長さは数万里にも達する。東は黒龍江に接し、西はアンディジャン(安集延)、コーカンド(敖罕)の諸部族と接している。その国の人は肌が色黒で目が落ちくぼんでおり、衣服・食物・言語・文字はみな西洋に近く、モンゴルの部族の習俗とはかけ離れている。その文官はみな西洋人を任ずるが、武官には本国人を用いている。その国の主はチャガン=ハーン(察罕汗)という名で、女が国主の位を伝えてすでに七代となる。男が生まれれば異姓の人とみなし、女が生まれて初めて国の跡継ぎとする。また『蒙古源流』には「元の太祖(チンギス=ハーン)の長子(ジョチ)は遠く離れた辺境に分封され、往復数万里である(本文注:『元史』に記載)。すなわちオロスの始祖である」うんぬんとある。それならばオロスもまた元の末裔ということになるが、その系譜は考証するすべがない。

 

まず、ハルハとはモンゴル高原で最大勢力を誇る部族であり、ウリャスタイとはモンゴル西部の一都市で、清代にはモンゴル高原とアルタイ山脈方面を管轄するウリャスタイ将軍(烏里雅蘇台将軍)が置かれ、当時はモンゴル高原を指す地理的名称としても使われていた。

次に、東では黒龍江、西ではアンディジャン(安集延)・コーカンド(敖罕)に接しているとしている。アンディジャン・コーカンドは現在の中央アジアのウズベキスタン東部で、当時はコーカンド=ハーン国の支配下にあった。コーカンド=ハーン国は現ウズベキスタン領のコーカンドを都とし、現在のウズベク・キルギス・タジクとカザフの一部を支配するトルキスタン南部の強国であった。清朝のジューンガル部・東トルキスタン征服(1755~1759)により、清朝と直接接触することになったコーカンド=ハーン国は清朝に朝貢、以後清朝・ロシア・カザフ・インドの十字路上に位置する地の利を生かし、中継貿易による繁栄を迎えることとなった。

にとって、アンディジャン・コーカンドは清朝の勢力圏の最西端という認識だったようで、以後紆余曲折を経ながら、19世紀中ごろまで朝貢・通商関係が続いた。

つまり、ロシアが、北のモンゴル、東の黒龍江、そして西のアンディジャン・コーカンドと、清朝の勢力圏の北・東・西の三方に接していることを例にして、ロシアの国土の広大さを強調している。

 

「肌が色黒で目が落ちくぼんでおり」だが、原文は「黑皙窅目」で、やや色黒の小麦色の肌と目がくぼんだ彫りの深い顔を指すようだ。清朝と境を接するシベリアや中央アジア方面のロシア人は現地人と通婚・混血しており、肌の色などの形質が現地人に近いものもいることからきた記述だろうか。

「衣服・食物・言語・文字はみな西洋に近く、モンゴルの部族の習俗とはかけ離れている」とあるが、興味深いのはあくまで「西洋に近い」のであって、「西洋」ではないとみなしていること。本文中では「洋」・「西洋」はロシアとは異なるものとして用いられている。これは、後述のモンゴル的歴史観と関連している。

「文官はみな西洋人を任ずる(其文官皆洋中人為之)」というのは、当時ロシア宮廷に多く仕えていたドイツ系貴族を指していると思われる。

「チャガン=ハーン(察罕汗)」とは、モンゴル語で「白いハーン」を意味する言葉で、ロシア皇帝(ツァーリ)を指し、19世紀以前の清朝でもその呼び名をそのまま使っていた。これは、ロシア帝国の源流であるモスクワ大公国が元来ジョチ=ウルス(キプチャク=ハーン国)の属国であり、モンゴル人からはジョチ=ウルスの継承国家とみなされていたことによる。本文でも、モンゴル貴族であるサガン=セチェン著の『蒙古源流』を引用する形で、ロシアの始祖はジョチであるとしている。

こうした認識は当時広く共有されていたようで、道光十二年(1832)に北京を訪れた朝鮮使節の金景善も、俄羅斯館(ロシア人滞在施設)を訪れたのち、ロシア人のことを「蒙古の別種なり」と記している。「別種」とは同じ起源から分化した民族・種族をいう(『燕轅直指』巻三「鄂羅斯館記」、蔡鴻生『俄羅斯館紀事』所収)。

しかも、そもそもオロス(俄羅斯)という名称自体、ロシア語の「Русь ルーシ(ロシアの古称)」や「Россия ラシーヤ(ロシア)」が、モンゴル語の「オロス Oros」に変化し、その後満洲語、漢語に入ったものだ。

当時の満洲人・清朝人のロシア理解は、やはりモンゴルの影響が濃かったようだ。

「女が国主の位を伝えてすでに七代となる。男が生まれれば異姓の人とみなし、女が生まれて初めて国の跡継ぎとする」というのは、18世紀のロシアに女帝が多かったことからくる誤解だろう。確かに、エカチェリーナ1世以降女帝が非常に短い間隔で頻繁に即位しているので、ユーラシア大陸の東の果てにいた昭槤がそうした誤解をしてしまうのも無理はない。

(参考)18世紀のロシア皇帝 ( )は在位期間、太字は女帝

ピョートル1世(1682年~1725年)
治世初期は異母姉ソフィアが摂政(在任1682~1689)女帝の前例に
エカチェリーナ1世(1725年~1727年)ピョートル1世の皇后
ピョートル2世(1727年~1730年)
アンナ(1730年~1740年)
イヴァン6世(1740年~1741年)
エリザヴェータ(1741年~1762年)
ピョートル3世(1762年1月5日~6月28日)
エカチェリーナ2世(1762年~1796年)ピョートル3世の皇后
パーヴェル1世(1796年~1801年)

ロマノフ朝 『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

全体的に見て事実と誤解が入り混じっている感じだが、当時の満洲人のロシア理解を知ることができ面白い 。

……

(参考文献)

『嘯亭雑録』清代史料筆記 中華書局 1980→1997再版

蔡鴻生『俄羅斯館紀事(増訂本)』中外交流歴史文叢 中華書局 2006

佐口透『ロシアとアジア草原』ユーラシア文化史叢書 吉川弘文館 1966

竺沙雅章監修・間野英二編『アジアの歴史と文化8 中央アジア史』同朋舎発行 角川書店発売 1999 

宮脇淳子『最後の遊牧帝国―ジューンガル部の興亡―』講談社選書メチエ41 1995





10月10日

滑稽節

中国のネットの某所で見つけたジョーク。

 

(原文)

北京市民举报:

110民警同志,2009年10月1日上午10时许,一辆牌照为京V02009的红旗牌轿车沿长安街逆向行驶,压双实线,违章掉头。其中一名乘客还将头伸出窗外,并在公共场所大声喧哗

110警回复:
您好,同志:经我所同志与交警大队调查核实,你反映的情况是真实的,但我们无法处置。对方人太多,飞机大炮坦克都带来了,核武器也有。手下有全球最大的社团,本所内部也大部分都是该社团人员,实在招惹不起,敬请保持围观姿态!

 

(日本語訳)

北京市民の110番通報:

警察ですか。2009年10月1日午前10時ごろ、ナンバープレート「京V02009」の「紅旗」が長安街を逆走したり、センターラインを超えて、Uターン禁止の場所でUターンしてました。同乗者の一人は車の外に身を乗り出して、公共の場所で大騒ぎしてたんですよ。

警察の返事:

もしもし、こんにちは。うちの署と交通機動隊に調査させたところ、通報は事実でしたが、こちらとしては処置できません。向こうは人数が多くて、飛行機や大砲や戦車まで引き連れてきてますし、核兵器まで持ってるんですよ。そいつの手下は世界最大の団体ですし、うちの署もほとんどがその団体の構成員ですんで、全く手出しができないんですよ。手出しはせず少し離れたところから様子を見ていてください。

 

 

「紅旗」は中国のVIP用の黒塗りの高級車。画像はこちら(中国新聞網)。
以前は政治家や幹部に広く愛用されていたが、最近ではアウディ、BMWやトヨタに押されている。
私もTV中継で久しぶりに「紅旗」を見た。さすがに国産車でなきゃまずいということか。

 

「公共の場所で大騒ぎ」のほかの画像はこちら。

中国、建国60周年 北京で祝賀式典 写真19枚 国際ニュース : AFPBB News




江戸弁チャイニーズ

【中国ブログ】オバマ大統領、中国“長期滞在”に「てやんでえ!」 2009/10/09(金) 16:59:52 [サーチナ]

 

「てやんでえ!」

だれや?このタイトルつけた奴は?

中国人はいつから江戸っ子になったんやろね?

 

今日、オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞したというニュースを見た。

まだそれほど実績を挙げていないと思うのだが。

 

それはそうと、もうすぐオバマ大統領がアジア諸国を歴訪するらしい。

当然中国にも来るわけだが、最近の中国では「オバマブーム」が急速に冷めつつある。

 

理由は最近の貿易摩擦とチベット、ウイグル問題だ。

 

オバマ米大統領(写真)は11月12日から19日にかけて、日本・シンガポール・中国・韓国のアジア4カ国を歴訪する。シンガポールではアジア太平洋協力会議(APEC)の首脳非公式会議に出席。その他の国は、日韓が1泊2日で、中国だけが3泊4日だ。しかし、中国では米大統領の“長期滞在”に期待しない見方が多いという。9日付で環球時報が伝えた。

(中略)

しかし、環球網が実施したアンケートではオバマ大統領の訪中に「期待しない」、「どうでもよい」と回答した人が86%にのぼった。また「オバマ大統領は、人民元のレート引き上げで圧力をかけるつもりだ」とみている人が50%、「米国債で対中圧力」は33%で、経済問題で対中強硬策をとるとの懸念が高まっている。

記事に寄せられたコメントでも、冷やかな意見が目立つ。「米大統領の滞在が長いといって、なぜ喜ぶ。米国をそんなにえらいと思うな。自国を見下すな」、「就任後半年も駐中国大使を決めず。オバマは何を考えている」、「中国の訪問を終えてから、ダライ・ラマに会うんだろ」、「オバマは誠意がない」、「腹黒だ」などの書き込みが多い。(編集担当:如月隼人)

【中国ブログ】オバマ大統領、中国“長期滞在”に「てやんでえ!」 2009/10/09(金) 16:59:52 [サーチナ]

世界关注奥巴马亚洲之旅 中国网民看淡奥巴马首次访华  2009-10-09 07:36 (『環球時報』の元記事 )

 

 

貿易摩擦で米中両国の報復合戦が起こりつつあるし、『環球時報』の記事へのコメントを見てもわかるように、アメリカがダライ・ラマやラビア・カーディルに肩入れしているのが中国人にとって非常に腹立たしいというのは事実だ。

まあ、最も『環球時報』は対外強硬論で有名で、日本で言うネトウヨ御用達なので、多少割り引いた方がいいかも知れないが。



 
ダイチン・グルンとその時代 -帝国の形成と八旗社会-
作者 
清朝史論考
明清史論考
作者 
清朝史通論 (東洋文庫)
紫禁城の栄光―明・清全史 (講談社学術文庫)
明清と李朝の時代    世界の歴史
海と帝国―明清時代
作者 
大清帝国
大清帝国と中華の混迷 (興亡の世界史)
作者 
図説 中国文明史〈9〉明―在野の文明
図説 中国文明史〈10〉清―文明の極地
清朝とは何か 別冊環16 (別冊環 16)
ヌルハチの都 満州遺産のなりたちと変遷
紫禁城史話―中国皇帝政治の檜舞台 (中公新書)
紫禁城―清朝の歴史を歩く (岩波新書)
北京―皇都の歴史と空間 (中公新書)
作者 
清帝国とチベット問題―多民族統合の成立と瓦解
作者 
最後の遊牧帝国―ジューンガル部の興亡
チベット仏教世界の歴史的研究
清朝の蒙古旗人―その実像と帝国統治における役割(ブックレット〈アジアを学ぼう〉 4)
作者 
民族生成の歴史人類学―満洲・旗人・満族
作者 
満洲語文語文典
満洲語入門20講
満洲語文語入門
永楽帝―中華「世界システム」への夢 (講談社選書メチエ)
作者 
作者 
康煕帝伝
雍正帝―中国の独裁君主 (中公文庫)
乾隆帝―その政治の図像学 (文春新書)
西太后―大清帝国最後の光芒
作者 
韃靼漂流記 (東洋文庫)
異域録―清朝使節のロシア旅行報告
科挙史